君と冒険する夢を見たんだ
 今日も、礼拝堂の天井は高い。どれだけ手を伸ばしても当然届かないし、掠める事すら叶わない。毎日のように眺めても変わる事はなく、移り変わる事のないものだ。
 停滞したままの、ある意味作り物の空。我ながらよく飽きないな、と思う。上手く馴染めない上級囚人特区の囚人達と話すより、ここで昼寝しつつ礼拝堂の天井を眺めている方がマシだと思って足を運んでいるのは、他でもない自分自身なのだが。
「アドル、来てくれたんだね」
 近寄ってくる気配の持ち主は、顔を上げて確認しなくても誰か分かるようになっていた。薄暗い中でもはっきりと認識出来る赤毛の青年――アドルは、長椅子の端に腰掛けてこくりと頷いた。
 自分と似たような色をした瞳と目が合う。ただ、アドルのそれは少年のように澄んでいる、と思えた。冒険家故の、純粋な好奇心が詰まっているのか。黒と言うと夜を連想しがちだが、彼の瞳は、無限の夜空のようだと例えてもいいかもしれない。
 体を起こす。さて、今日は何を話そう。
 少し考えた末、アドルは長居出来ない事を知っているが、なんとなく、話しておきたい事があったのを思い出した。
「情報交換の前に……不思議な夢を見たんだ。聞いてくれないか?」
「夢?」
「ああ。君と冒険する夢だよ」
 きょとん、とした様子のアドル。少々幼く見えたのは黙っておく事にした。そういえば年齢を聞いていなかったが、自分よりどれくらい下なのだろうか。
 また時間がある時にでも尋ねてみよう、と、今は思うだけにしておいた。
「バルドゥークは出ている……みたいだった。先の見えない長い道を君は歩いていて、まるで見送るように綿毛が空を飛んでいたよ。それで、僕はそこには居ないんだけど、多分君と同じ風景を見ている」
「マリウスがいない?」
「うーん……何て言えばいいんだろうなぁ。確かに君と冒険する夢、なんだけど……僕は居ないんだよ。だけど君の近くには居る。何なんだろうね? 不思議な夢だと思わないかい?」
 アドルの視点で夢を見ていたのか、と目覚めてから考えたが、違っている気がしてならない。考えている間にも夢の中の風景がぼやけていくせいで、上手い表現が見付からず曖昧なものだったが、アドルは何かを納得したように一人で頷いている。
「違う何かになっていたんじゃないかな」
「え?」
「例えば……その綿毛とか」
「僕が……綿毛に?」
 どこまでも高い蒼穹を目指して、舞い上がる綿毛。風に乗って、気ままに、目的地も分からないまま旅をする。
 脳裏にその景色を描く。この解放感があるようで、まったくない監獄から見上げる空より、ずっと良いものだった。実際に、己自身の目で見たわけではないというのに。
「僕の服にくっ付いていた綿毛かもしれないしね」
「はははっ! それでも、どこに行くか分からないのは同じか。……うん、悪くないかもしれない」
「マリウスは、冒険に出たいのかい?」
「……冒険……か。そうだな……ここを脱獄出来たとしても、僕は自分の事が分からないし、記憶が取り戻せてなかったらそれを探しに行くかな」
「じっとしていても記憶は戻らないかもしれないし、良いと思うな」
「そういえば、君は一度記憶喪失になったんだったか……説得力あるなあ」
 アドルは本当に色々な経験をしてきているのだな、と素直に思う。様々な地域を訪れ、新しいものを沢山見て、白紙の道をひたすら歩き続けて来たのだろう。
 彼の話は聞いていて飽きないし、小さな光として自分の中に留まるような、不思議な感覚がしている。
「……っと、まあ僕の夢の話はこんなところさ。ここからは情報の話なんだけど――」


 ◆


「アドル」
 バルドゥークの街中のどこかへと繋がっている道。振り向いても前を向いても暗い抜け道の中では、控えめに呼んだ声も反響する。
 歩む足は止めないまま、アドルは短く返答した。
「いつだったか……君と冒険をする夢を見た話、覚えてる?」
「君が綿毛になっているかもしれない、って話だったかな」
「そうそう。まったく同じというわけではないけど……いつか来る未来の夢だったみたいなんだ」
「未来の夢?」
「不確定な未来のものだと捉えるのは変だって思うかもしれないけど、ある意味間違ってなかったんだな……と思ってね」
 先を行くアドルが立ち止まり、上を見た。行き止まりに思えるが、目を凝らすと僅かに光が漏れている。
「それなら、君は……」
「そう、アドルの想像通りさ」
 二人で取っ手を思い切り引っ張ると、重い石が動く音がする。黒の世界に光が差し込んで、少しずつ、瞳に眩しさを感じるようになった。
 人が通れるくらいに動かした石の隙間からよじ登る。周囲はしんと静まり返っているが、バルドゥーク墓地の一角であるなら当然だ。
 広がっている空は、境界の色に染まっていた。

「僕≠ヘきっと、長い旅に出る事になる。……いつかどこかで、君と会えたら嬉しいな」

 なんて、これは後で言っても良かったかな。苦笑してそう付け加えると、アドルは笑って、僕も同じだ、と言った。

 ――目の前の可能性を信じて、旅立つ時は遠くはない。

 境界の色の空も、どこまでも高かった。



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