竜騎士と太刀
※名前出ませんがNPC竜騎士メインです


 人間、誰にだって怖いものがあると思っている。何も怖くないと言ったって、一つくらいはあるだろう。いや、あるはずだ。
 アルタゴの民を守る、誇り高き竜騎士である僕だってそうだ。そんな僕が怖い、苦手なもの――それはずばり“幽霊”だ。どうしてダメなのかは察して欲しい。思い出したくない事もあるのだ。鮮明に回想してしまえば、今夜眠れなくなる可能性もあるから許して欲しい。

 だから……夜のテラスに“それ”を見付けてしまって、世界の時間が止まったような気がした。

 他に誰も出歩かないような時間、どうしても用を足したくなって宿舎を抜け出した、その帰り――公宮のテラスに、月明かりに照らされて、佇む人影が一つ。
「え……こんな時間に、誰――」
 肩の下くらいまでの銀髪に、ゆったりとした服。肩幅からして男だとは思うが、あんなひとが居ただろうか? 見覚えがなかった。
 見た事がない、というのと、どこか現世から離れているような雰囲気を纏っている(ように見えた)目前の存在に対して、じわじわと恐怖心が沸き上がって来る。
 そういえば、夜のアルタゴ公宮には戦死者の霊が出るだとか、そんな噂も耳にした――ああ、どうしてこのタイミングで思い出してしまうのだろう。
 影を踏まれているかのように、足が動かなくなる。なんだこれは、金縛りとやらなのか。だとすると、あれは、本物なのではないか?
 向こうはすぐに僕の気配に気付いたらしく、ゆっくりと振り向いたが――その顔をはっきりと確認する前に、目が合うのを恐れて、僕は全力で床を蹴っていた。あ、動けた、とか、そんな事を思っている余裕はなかった。

「ひぇー! で、出た〜〜っ!!」

 竜騎士に許されないような、間の抜けた悲鳴が口から出る。百竜長あたりに見付かれば何を言われるか分からないが、それを気にしている場合ではなかった。
 宿舎に逃げ帰り、自分のベッドに潜り込む。幸い、近くで寝ている先輩は寝言を言っていて起きる気配はない。向こうで眠っている寝相の悪い同僚も、ベッドから上半身が落ちてはいるが目を覚ます様子はなかった。

 ――早く朝になってくれ。頼む。

 けれど、結局寝付けず、睡眠時間は一時間ほどになってしまった。

 ◆

 その日が非番でなければ、訓練には絶対についていけなかっただろう。寝不足がバレればドライゼン将軍にどれほどしごかれるか――想像しただけで震えそうだ。
 運が良かったと安堵しつつ、街の散策へ出ようとして宿舎の入り口へ向かうと、そこでは先輩騎士が剣の手入れをしていた。
「おはようございます……」
「おう、おはよう――って、どうした? ぼうっとして。寝不足か」
「う、うーん……そうとも言えますね……」
 正直に話しても良いものか。寧ろ、先輩ならば何か知っているかもしれないが、果たして信じてもらえるのだろうか。
 歯切れの悪い返答をして迷う僕の前に立ち、先輩は肩に手を置いた。
「悩みがあるなら、相談くらいは乗ってやるぞ。オレにとっては、お前たちも“守りたいもの”だからな」
 笑顔が眩しい。いつも頼りになるこの先輩の事は、サイアス千竜長と同じくらい尊敬している。明るく、時に厳しい先輩は、入団後に僕に気さくに声を掛けてくれたのだ。真面目な人、ではあるものの、巡回中の休憩ポイントになる場所をこっそりと教えてくれたのも、彼だったりする。
 このままずっと抱えるくらいなら、話してしまったほうが気が楽だろう。楽になりたい。一人で抱えたくない。そんな気持ちが勝り、僕は口を開いた。
「それなら、聞いてください! 昨日……いやあの時間は今日ですね、幽霊見たんですよ!」
「……は?」
「ユウレイですよ、ユ・ウ・レ・イ! 噂では聞いてましたけど、うぅ……まさか本当に出るなんて……」
「いや、お前なぁ……そんなの居るわけないだろう、見間違いだ見間違い」
 すとん、と着席する先輩。返ってくる言葉は予想通り、ではあった。が、僕から溢れる言葉は途切れない。
「ほんとなんですよ〜! あのテラスに、これくらいの長さの銀髪の」
「へ、その長さの銀髪……? あ、ちょっと待」
「ああ、やっぱりご存知なんですか? 思い出したら怖くなって来ちゃいましたよっ! 多分、男の幽霊だったと思うんですけど、きっと噂の戦死者の」
「いや、だから、待て落ち着け」
 先輩騎士の表情には焦りが滲んでいる。僕のほうを見て、珍しく狼狽えていた。この反応、きっと彼も見た事があるのではないだろうか――そう思っていると。

「それは風呂上がりの俺だな」

 ぴしり、と。その声を聞いて、僕の中でそんな音がした。
 空気が凍る、とはこういう状況の事を言うのだろう。振り向きたくても振り向けないが、錆びついたものを無理矢理動かすようになんとか後ろを見てみると、そこには。
「さ、さささサイアス千竜、ちょ」
「“これくらいの長さ”じゃ、なかったか?」
 え、風呂上がりってどういう事だ? あの時間に? もう日付変わってたのに――という疑問はすべて溶けていく。脳内をどうしようもない後悔と焦りが埋め尽くす。
 サイアス千竜長は、いつも一つに括っていた髪を下ろした。あの時に見た“幽霊”と、目の前に立っている彼がぴったりと一致する。
 血の気が引く。効果音を付けるならば、さあっ、と。
「たったたた確かにそうなんですけど、あの、その」
 あの時の記憶が一気に流れ込んでくる。そうなると、思わず上げてしまった情けない悲鳴も、聞かれていたという事になるのではないか――。
 無意識に後退りしてしまい、先輩にぶつかる。小突かれるが、思考が回らない。
「あんな時間にあそこに居た俺が悪い。すまなかったな、驚かせてしまって」
 髪下ろすと随分雰囲気変わるんだなぁ――と片隅で思えはしたものの、それ以上何も考えられず、考えようとすればするほど頭が真っ白になっていく。そんな僕の前で申し訳なさそうに苦笑してから、サイアス千竜長は髪を括り直しつつ立ち去った。
「……」
「……」
 奇妙な沈黙。僕も先輩も何も言えず、窓の外から聞こえた小鳥の囀りがやけに近く感じる。
 ゆっくりと顔を見合わせて、扉が閉まったのを確認して――先輩が勢いよく椅子から立ち上がった。
「ば、馬鹿者! 千竜長を幽霊と見間違えるやつがあるかっ!」
「すっ、すみませんーっっ!!!」
「オレじゃなくてサイアスさんに謝ってこい!」
 容赦のない拳骨が一発降ってくる。
「あいたっ!」

 ◆

「そのあと、先輩はどうしたんですか?」
「どうしたも何も……すぐ追いかけていって、謝ったよ。気にするな、って言ってはくれたけどね」
「へぇぇ……そうだったんですか。とんでもない事やらかした大罪人、って聞いてたけど……そういう話聞くと、よく分からなくなっちゃいますね」
 あれから数年。先輩騎士も、サイアス千竜長……元千竜長も、居なくなってしまった。
 先輩はアルタゴに異変が起こった時に、未だに信じたくないけど、サイアス元千竜長の手で殺されてしまい――その彼も、異変が鎮まった時にはもう、どこにも居なかった。異変に巻き込まれて死んだ、とも、行方不明になったとも噂されたが、真相は分からないままだ。
 あの時は、何が起こったのか理解が出来なかった。生き残った者から聞いた話では、黒衣に身を包んだ彼が先輩を一突きにし、他の公宮を守っていた竜騎士同様、血の海に沈めてしまったのだという。哨戒に出ていた僕が仲間と共に駆け付けた時には、何もかも遅かった。
 市内を中心に広がった異変。悍ましい色に染まった空。不吉で嫌な気配が漂い続けていたが、それらはある時、イスカ熱共々突然消え去った。
 ――何が、あったのか。アルタゴの地で、人智を超える大きな“何か”が動いていた事くらい、大半の人間が気付いていた。
 事態が収束してから一週間ほど後の事だ。姿を消していたイスカの民が現れ、これからは五つの氏族が力を合わせてアルタゴの地を守っていく、という事が公宮から民衆へ伝えられた。既に異変の中で各氏族が協力していたのもあり、反対する者は誰も居なかった。
 が、結局、サイアス元千竜長がああした理由は、僕はしばらく分からずにいた。

『あら、あなたは百竜長の……。話は聞いています。部下達からの評判も良いそうですね』
 ある日、偶然公宮の中庭で、アイシャ殿下とばったり出会った事があった。公務の合間の気分転換なのだろうか。シグルーン千竜長が、こっそりと遠くから見守っている。
 アイシャ=サリ=エドナス公女――成人して数年経ったばかりの若い公王代理だが、新しく着任した宰相や各里の長達と力を合わせて、アルタゴ公国の為に日々奔走していると聞く。
『有難きお言葉です。ですが、自分はまだまだ若輩者。これからも邁進して参ります』
『期待しています。その調子で、よろしくお願いしますね。……ところで、その武器は……』
 アイシャ殿下は、僕が提げていた武器に目を留める。
 その理由はなんとなく察したが、こちらから切り出して言う事ではない。
『これがどうやら、自分に一番合っているようでして』
『そう……。ドライゼンも言っていましたね。合う武器を使用するのが良い、と』
『ラウド千竜長が扱う双剣や、ドライゼン将軍が振るう戦斧は、私には馴染みませんでした。……槍一本で行くべきか迷っていたところに、将軍が教えてくれたのが太刀でして』
 太刀――それはかつて、サイアス元千竜長が振るっていた武器種だ。彼はそれを手に戦場を駆け、ロムン側から異名を付けられるほどに活躍し、アルタゴ公国内では英雄視された。
 正直、迷った。今までに使用者はほとんど居らず、反逆者と同じ武器を使うのか、と言われた事もあったし、使いこなすのには相当時間を要した。
それでも僕が太刀を手に取ったのは、遠い日に、新入りの僕にサイアス元千竜長が語った言葉が忘れられなかったからだ。

 ――守りたいと思ったものを守れ。お前が、心の底からそう思えるものをな。

 彼の目は、本物だった。真実を伝える眼差しをしていた、と思う。先輩からも同じ事を言われたが、元々は彼が言っていた事なのだろう。
 だからその時、僕は思ったのだ。この人にも、守りたいと強く思っているものが存在するのだと。それは公国すべてかもしれないし、もっと小さな何かかもしれない、とも。
 僕がどう思おうと、サイアス元千竜長が大罪人であるという事実は覆らない。この先もずっとだ。勿論、僕もその認識は消せないし、彼が先輩や仲間を手にかけた事は一生許せないだろう。けれど、そう話してくれた彼もまた、守りたいと思ったものの為にああしたのかもしれない、という想いがどうしても捨てきれなかった。
 そんな僕の思い込みは、間違っているかもしれないし、正しいのかもしれない。けれど、それを判断してくれる人はもう、どこにも居ない。
『守りたいと思ったものを守れ。……その言葉は、僕にとっては真実ですから』
 その想いを忘れたくなかった。過ぎてゆく時間の中で風化させたくなかった。癒えない痛みも伴うが、手離すという選択は出来なかったのだ。
 はっとしたような表情を浮かべてから、アイシャ殿下は微かに笑う。
『……。ありがとう。貴方のような人が、竜騎士団に居てくれてよかった』
 それはきっと、彼の真実を知るであろう殿下だからこその言葉、なのだろう。これまた思い込みになってしまうが、僕はそう信じている。

「それで、先輩は太刀を使い続けてるんですか」
「そうなるね」
 手入れを終えた武器達は、鋭い光沢を放っていた。もう十分だろう。
 数回持ち上げてからそっと置いて、柄の部分を軽く撫でる。
「太刀の重みには大切なものが詰まっている――だから、僕はこれを振るい続けているんだ」
 これからも僕は、この太刀と共に歩み続けようと思う。
 残されたものを、この手で守る為にも。



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