全てを捨てて、全てを捧ぐ
 鐘が鳴り、軍港から船が巡回に出て行く。非番の日でもここに来てしまうのは、もはや癖のようなものだ。宿舎を出た後は、自然とここへ向かっている。
 ロムンと海賊への警戒を兼ねている、軍船での巡回――竜騎士団は今日も、守るべきものの為に在り続けている。
「さ、サイアス千竜長〜〜〜っ!」
 やたらと大きな声で呼ばれる。振り返ると、全力疾走という言葉が似合う様子で走ってくる一人の竜騎士が目に入る。近くに人は少なかったが、彼らは揃って俺のほうを見ていた。
 駆け寄ってきたのは、夜に俺の事を幽霊と見間違えてしまった新人だった。わざわざ追いかけて来たのだろうか――おそらく、彼の先輩、副隊長から謝って来いと言われたのだろう。あいつは真面目だから、俺が気にしていないと言ってもそう言いかねない。
「ああ、お前か。どうした、そんなに慌てて」
「僕、まだ謝っていませんでしたから……!」
 やはりか、と苦笑すると、彼は深く頭を下げた。
「千竜長、申し訳ありませんでしたっ! 幽霊扱いしてしまうなんて失礼な事を……」
「頭を上げてくれ、気にしなくていい。――今日はお前も非番だろう? 時間は大切にな」
「は、はい……確かに、そうですね」
 遠巻きにこちらを見ている人々の視線には、戸惑いの色が滲んでいる。何があったのか気にしているのだろう。俺達が特に気にする事ではないが。
「……千竜長、軍船を見ていたんですか?」
 どこかへ行くのかと思ったら、彼はそのまま俺の隣に並んだ。
 海神グラッテオスの像と軍港を望む高台、その縁に寄りかかり、港を出たばかりの軍船を目で追っている。
「つい、来てしまう場所でな」
「あ、それちょっと分かります。僕も、非番の日は毎回ここに港を見に来てしまうんですよ」
 それで時間を忘れてしまって、気が付いたら夕方になってたりして、何も出来なかったなあって落ち込んだ事もあったんですけど。
 そう言って人懐っこく笑った彼は、確かに、副隊長から聞いていた通りの人物のようだ。誰にでも臆する事なく話しかけられるのは、決して悪い事ではない。馴れ馴れしすぎるのは良くないが、彼の場合はその範囲には入らないだろう。
 というのも、新入りの竜騎士の中には、俺や将軍の前では緊張して固まってしまう者も居るからだ。中には、声を掛けただけでぴしりと硬直して、石像のようになってしまった者も居た。
 ティアにその話をしたら、申し訳なさそうに笑われたのは少し前の事だ――まあ、あいつが笑ってくれるのなら、俺はそれでいい。
「でも、本当に、時間を忘れて見てしまいます。アルタゴの誇りなんだなって」
 彼の横顔からは、心底、そう思っているのだと伝わってくる。
「お前は、アルタゴが好きか?」
「え……?」
 突然何を、と思われているだろう。だが、俺は、新人の竜騎士には必ずこの問いかけをしている。公国を守る竜騎士団に身を置いている以上、それを否定する者はまず居ない、はずだ。
 最初から答えはほぼ決まっている質問だが、敢えて、のものだった。
「……そうですね。勿論、アルタゴが好き――ですし……変な言い方ですけど、僕はここで生きている人達が好きです」
 僅かに間を空けて、彼はそう切り出した。
「そりゃあ、色々な人が居ますけど……僕、家族を紛争絡みの事故で亡くしてるので。その時から今に至るまでに助けてくれた人達に恩返しがしたい、という気持ちが、大きくなった感じですね」
「竜騎士団に入った理由か」
「はい。入団出来たのは、ロムンとの紛争終結後になってしまいましたけど……今は今で、僕に出来る事もきっとあるはずだ、って思っています」
 ロムン帝国――メドー海を挟んで向こう側の、エレシア大陸で版図を拡大し続けている軍事国家。こちらへも手出ししようとするロムンとアルタゴの紛争は、数ヵ月前にようやく終結する事となった。
 ここまで答えられるなら、彼は大丈夫だと思えた。副隊長曰く、槍術があまり得意ではないようだが、討伐等の業務に差支えがない程度には扱えているという。この先の鍛錬次第だろう。
「フッ、そうか」
「えっと……サイアス千竜長。僕、変な事を言ってしまいましたか?」
「変じゃないさ」
 答えの先に、或いは中にあるものは、人によって異なる。アルタゴを守る、という想いで同じ方向を向いていたとしても、各々が抱くものは当然違う。

「守りたいと思ったものを守れ。お前が、心の底からそう思えるものをな」

 ◆

 魂の井戸――命が還り、巡る場所。アルタゴに終焉をもたらし、新たな創造を迎える為の儀式は、その最深部で進められている。
「サイアス……貴方の考えは、変わらないのですね」
「ええ。この広間の入り口で、私が彼らを討ちます。それでも条件は満たすはずです」
 俺の役割は、一つだけだ。終焉の巫女である彼女を守護する身として、アドル達を迎え撃つ――このままここに留まって、彼らが来るのを待つ手もあるだろう。だが、俺の中には、そうする選択肢はない。
「確かに、終焉の儀の準備はほぼ整っている……後は、この井戸の中で竜の戦士が斃れれば、儀式は成るでしょう。ですが……」
「……既に汚した手。これ以上血塗られたところで、何も変わりません」
 巫女が直々に、竜の戦士を討つ必要はない。井戸の中で彼が斃れさえすればいいのだ。ならば、俺一人で出向けばいい。儀式の為に誰かを殺める覚悟など、とっくに出来ている。
 時折、自分自身を押し殺すような眼差しを見せる彼女――ティアに、そのような事をさせたくはなかった。間違いなく、自分の手で殺めるとなれば哀しむだろう。
 その部分に関しては、双極の騎士として、というよりは、ただの“サイアス”としての想いになるのだろうか。
「……。サイアス――さん」
 呼び止める声。巫女として話している時のものではない事に気付く。
 振り返ると、いつもの“ティア”が、そこには立っていた。
「ティア……」
「ごめん、なさい。……ごめんなさい。……本当に……っ、最後まで……」
 彼女が優しい事は、俺もよく知っている。何故、このような過酷な使命を背負わなければならないのか、と思えるほどに。
 俯いて、肩を僅かに震わせるティア。手にしている杖は握り締めたまま、言葉をどうにか絞り出しているように見える。
「双極の騎士としての使命を、全うすると決めたのは俺だ。……守れるものを、守ろうとしているだけだからな。だから……信じていてくれ」
 彼女の前に立ち、肩に手を置く。顔を上げたティアは、小さく頷いた。
 こうしてティアと話せるのは、これが最後になるだろう。敗北――は想定していないが、俺がアドル達に勝とうと敗れようと、おそらくもう、ここへ戻る事はない。彼らを討てばすぐに儀式は発動して、アルタゴに生きるものすべての魂を井戸の底へと還す。そこには当然、俺や彼女も含まれているからだ。
 守れるものを、守ろうとしているだけ。自分で言ったその言葉が反響する。何度も、何度も。
 本当は、守ってやりたいものがあった。ティアとマヤの穏やかで優しい時間が、あの平穏な日々が、ずっと続くようにしてやりたかった。だが、それはどう足掻いても、俺には守ってやれないものだった。
『サイアス……公王を暗殺したのが、貴方だったなんて……』
『クク……犯人が俺だと知ったところで、今更お前に何が出来る?』
『っ……!』
『てめぇ、ふざけやがって! それでアドルがどんな目に遭ったか……!』
『ドギ。……さすがに気付けなかったよ。ただ、それなら――なぜあの時、僕に薬をこっそり渡してくれたんだ。今思えば、竜の戦士だから、というのもあったのかもしれない……でも、それ以外のものを、僕は感じたけどな』
 今代の竜の戦士。お人好しと言われるほどの、心優しき赤毛の冒険家。実力を確かめるべく公王暗殺の疑いを被せたが、処刑の儀を生き残った彼の事を、見所のある男だとは思っていた。
 ここへ辿り着いた時、何と言うだろうか。ティアの使命の詳細は、おそらく月竜あたりから聞かされているだろう。人の手で覆せるものではない運命を知った身で、どう答えを出すのか――それが生半可なものであろうと、本気のものであろうと、容赦をするつもりはないが。
 剣を握り直す。希望と絶望を背負う竜の戦士として、幾つもの危機を乗り越えて来た一人の冒険家として――俺達の前に立つならば、その覚悟を見せてみろ、アドル=クリスティン。
 それが半端なものであるならば、俺がお前を、共に戦っている仲間ごと始末するだけだ。


 今度こそ、背を向けて歩き出す。
 ティアには、別れは告げなかった。




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