空に届く花
※マヤの口調等、色々完全に捏造です


 故郷よりも強く感じられる日差しは、午後になると更に眩しくなる。が、その陽光を反射する海原は美しく、つい足を止めて見入ってしまう。
 空と海の青は混じりそうで混じらないまま、遠く彼方まで続いていた。
「バルドゥークを出て、アルタゴに渡る日が来るなんて思わなかったな……」
 一言そう呟いてから、ジュールはアルタゴ市の街並みを見回す。簡潔に表現するならば異国、というその景色に、着いてから数時間が経過した今でも、彼の心は高揚したままだ。表面上は落ち着いていても、未知の地に対する興味は尽きないのだ。
 足を止めたジュールの横を行き交う人々の服装も様々で、五つの氏族が力を合わせてこの地を守っている、という話を思い出した。そうするようになったのは数年前からのようだが、きっかけが何だったのかはほとんど知られておらず、謎も多いという。
 それを船――最近運航が始まった、ロンバルディアU号という客船で水夫から聞いた時、ジュールの脳裏を過ったのは、かつての仲間であり冒険家である青年――アドルだった。

 ――アルタゴは、憧れの地だったんだ。だから、行けた時は本当に嬉しかったよ。

 そう語ってくれたアドルの姿は、数年経った今でもジュールの記憶の中に残っている。その時もこうして目を輝かせていたんだろうな、と思える様子で、彼はアルタゴでの冒険の話を数時間かけてしてくれた。
 闊歩する巨獣、点在している石碑や遺構、広大な砂漠や風吹き渡る峡谷、人智を超えた存在である五大竜。好奇心を揺さぶるようなそれらの話を聞いて、いつか必ず自分の足で訪れよう、とジュールは決めていた。
 その為にも――という事で、彼は午前中に港に着き、宿屋で受付を済ませてから、旅に必要な物資を幾つか調達すべく散策していた。この先の事は細かく決めてはいなかったが、竜車を利用しても、他の里への道のりは長い。一人旅である事も踏まえると、入念に準備をしておいて損はないはずだ。
 ジュールがそう思いながら街を歩いていると、いつの間にか、公宮前にある広場に辿り着いていた。どこからか、花のような匂いが漂ってきている。
「マヤちゃん、今日も早くからお疲れ様。いつも助かってるよ」
「ううん、こっちこそありがとう。また何かあったら言ってね……言って、ください!」
「ふふ、頼もしいねぇ。アタシに無理に敬語を使わなくてもいいんだよ」
 木製の手車に積まれている草花。それを売っている黄色いリボンの少女は、常連らしき老婆を元気よく見送った。
 そういえば、薬の材料が少し減ってきていたっけ――それを見ていて、調合に使うハーブの残量が過った彼は、紙袋を抱え直して手車に近付く。
「いらっしゃいませ!」
 明るい笑顔で出迎えた、マヤ、と呼ばれていた少女は、年はまだ十を過ぎたくらいだろうか。
「調合に使えるハーブを探してるんだけど、ここに売ってるかな」
「えっと、ハーブなら……これを売ってます。探してるもの、ありますか?」
 手車の端に差し込んであった、使い込まれた様子のノートを開いて、マヤはジュールにハーブの一覧を見せた。正確に描かれた絵の横には、名称や効能などが細かく記されている。途中で字体と絵柄が少し変わっているが、おそらく誰かから引き継いだのだろう、と彼は推測だけして、それ以上は気に留めなかった。
「二番と、九番を。この瓶に半分ずつ入るくらいで」
「分かりました、今計算しますね!」
 ジュールから受け取った小瓶に、マヤは丁寧かつ手早く、計量しながらハーブを入れていく。
 マヤが計算をしている間にジュールは周囲を見回すが、彼女の連れと思われる人は見当たらない。先程の老婆とのやり取りから、店番を任されている、というわけでもなさそうだ。
「おまたせしました、四百八十ゴールドです」
「そうしたら……ちょっと細かくなっちゃうけど、丁度あるはずだから確認してもらってもいいかな」
「おつりが少なくなってたから、助かります! ……うん、ちょうどですね。ありがとうございました!」
 告げられた金額は、思っていたより安かった。栽培用の土地が広く確保出来ているのか、今までに立ち寄った街のどの店よりも安価だ。
 けれど、花やハーブの質が確かなのは一目見れば分かる。良い店に巡り合えて良かったと、ジュールは小瓶を受け取りながら思った。
「こっちこそ、ありがとう。材料が減っていたから助かったよ」
 ぺこりと頭を下げたマヤに軽く会釈して、彼は彼女の店を後にした。

 ◆

「五氏族が、共に調和に向けて歩み始めた日?」
 宿屋の一階で遅めの昼食を取る際、相席になった、竜騎士だという男からジュールはそう教わった。
「ああ、そうさ。三年ほど前だ……アルタゴを異変が襲ったんだよ。……色々あったけど、それをきっかけに、アルタゴの五氏族が力を合わせるようになったって話だ。今日は、その異変が鎮まった日でもある」
「三年前……」
「噂では、伝承の戦士が元凶を打ち破ったとか、五大竜が力を貸してくれたとか言われていたけど……本当の事を知っている人は、ごく一部なんだろうね」
 やっぱりアドルさんが来ていた年だ――とは思ったが、口には出さなかった。彼が関わっている可能性はかなり高そうだが、ここで名を出しても意味はないだろう、と判断して、ジュールは切り分けられたミートローフを口に運ぶ。
「そういえば坊や、この辺りでは見ない服装だけど……どこか遠くから来たのかい?」
「グリア・エルトリンゲン地方。スニオン港から船で来たんだ」
「そうか、少し前から定期便が運航されるようになって……って、君、一人で随分遠くから来たんだなぁ」
 その若さで大したものだと、竜騎士の男は感心するような声色で言う。
 ジュールは十七になって少し経ったばかりだ。この年齢の旅人は、確かに珍しいかもしれない。国境と海を越え、こんな遠方まで足を運ぶ者は、決して多くはないのだろう。
「人に会いに行く旅をしてるんだ。……僕も、自分一人でアルタゴに渡る日が来るなんて思わなかったけど……来て良かったと思ってる。良い街だね」
「旅人にそう言ってもらえると嬉しいよ。…………おっと、そろそろ行かないと……この後も、アルタゴをゆっくり見て回ってくれ。良い場所が沢山あるから」
 相席を許可してくれた礼という事で、彼はジュールの分まで代金を支払ってくれた。気を遣わせて申し訳なく思いながらも素直に気持ちを受け取り、小さく手を振って見送る。
 数分後、夜まで再び市内を散策しよう、と思いつつジュールが外に出ると、人の合間を縫うように一人の少女が駆け抜けていった。
「? 今のは……」
 揺れる黄色のリボン。見間違えるはずがない。食事を取る前、広場でハーブを買った店の少女、マヤだった。花の入った籠を一つ提げて、彼女は街の外へと向かっている。
 まだ夕方と言える時間ではなかったが、太陽は傾き始めていた。別の街に住んでいて、今から帰るのだろうか。街道には獣も居り、基本的には竜車で行き来をすると聞いていたが――と彼が思っていると、布製の小袋が落ちているのに気付く。
 拾い上げると、木で作られたタグには青いインクで『MAYA』と書かれていた。
「これ、あの子のかな。届けてあげないと」
 こうしている間にも、彼女は遠くへ行ってしまうかもしれない――。ジュールが顔を上げると、マヤの姿はまだ見える。
 懐に忍ばせていた、護身用の短刀を落ちないように固定し直してから、ジュールは小袋を握って駆け出した。


 身軽なのか、ジュールが思っていた以上に足が速いマヤは、アルタゴ市を出てからも立ち止まらず走り続けていた。どう見ても得物を持っていない彼女の事が心配だったが、獣が寄って来ないあたり、何かしらの対策をしているのだろう。
 一体どこまで行くのか――と彼が思っていると、マヤは徐々に走る速度を落とし、見晴らしの良い高台で足を止めた。以前何かあったのか、木製の柵の向こうには、くり抜かれたような大穴が広がっている。
「……」
 少し距離を空けて、ジュールも立ち止まる。声を掛けようと思ったが、マヤが二輪の花を籠から取り出して置いたのを見て、言葉が引っ込んでしまった。
 柵の下、道の端になるところに彼女が置いたのは、白い花と空色の花だ。細めの青いリボンで括られたその二輪は寄り添うように、穏やかな風に吹かれている。近くに墓碑のようなものは何もなかったが、その花が何の為に置かれたのかを推測するのは難しくない。
 マヤはしばらくその前に屈んでいたが、人の気配に気が付いたらしく、ゆっくりと振り返った。
「……? あっ! さっきの……」
 邪魔をしてしまったな、と思いながらも、ジュールは数歩彼女に歩み寄る。
「これ、君のだよね? 落としてたよ」
「えっ? ……本当だ!」
 手渡したそれは大事なものだったようで、懐を探り、籠も確認してから、マヤは小袋をそっと握り締めた。
「ケモノがよってこないようにするお香の、ヨビ? が入ってるんだ。なくしちゃったら大変だった……ありがとう!」
「中身が無事なら良かった。獣避けの道具だったんだね」
「お姉ちゃんに、教えてもらったんだ。お花やハーブをつみに行くときに使うんだよ」
 立ち上がったマヤは後ろで手を組んで、置いた花に向き直る。弔いの意味がある花だとしたら、自分がここに居ては申し訳ない。
 そう思い、ジュールは踵を返そうとしたが――その瞬間、強い風が吹き、反射的に足を止めて帽子を押さえる。一瞬のものだったが、先ほどまで吹いていた風とはどこか違っているようにすら思えた。
 ジュールが振り返ると、蒼穹に吸い込まれるように、マヤが置いた花は風に乗って舞い上がった。リボンで繋がれた二輪は離れる事なく、不思議な事に落ちてくる様子もない。目に見えない何かが空の向こうへ運ぶかのように、花はどんどん小さくなっていく。
「花、飛んで行っちゃったけど……」
「去年もこうだったから、大丈夫」
「そうなの?」
「お姉ちゃんたちに届けてくれてるのかな、って」
 風さん、よろしくね――と、手を振り、彼女は飛んでいく花を見送った。
 明るく振舞ってはいるが、マヤは身内を亡くしているらしい。竜騎士から聞いた、三年前にアルタゴを襲ったという異変の時だろうかと、ジュールは思う。
「あ……気にしないで! わたしがここに来たのは、ホウコクするためだから」
 表情に感情を滲ませてしまっていたのか、マヤが目を合わせてぱっと笑ってみせた。
「報告?」
「今年もきれいな花が咲いたよ、わたしは元気だよ、って言いに来てるの。…………きっと、お姉ちゃんも、一人ぼっちじゃないから。お姉ちゃんのことを大事にしてくれてるひとが、そばにいるから……がんばろう、ってサイニンシキ? するんだ」
「そっか。……僕が言える事じゃないかもしれないけど、見守ってくれていると思うよ」
「うん。わたしもそう信じてる!」
 マヤの笑顔は、無理矢理作ったようなものではない。
 寂しさや悲しみといった想いを乗り越え、根を張り風雨に負けず咲く花のように、力強くこの地で生きている――詳細を知らないジュールでも、そう思えるようなものだった。


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