01
シンプルで無駄な物のない、整然とした部屋だ。
携帯が何秒と間を置かず着信を告げている。サイレントモードにしてあるので音は出ないが震動はするので、鞄に入れていたため最初は気づかなかったものの一度気づいて耳を澄ませているとひっきりなしに鳴っているのが分かる。
誰だろう、あ、そういえば父との約束の時間、と思いつつも背後からがっちりと秋吉に身体をホールドされているため、出ることは叶わない。
「秋吉、携帯鳴ってる」
「今それ言うのか」
「夕方から父さんとスイーツ食べ放題に行く約束してて」
「……」
父という単語に、彼はぴくりと反応してしぶしぶ私を解放した。急いで鞄から携帯を取り出すのを、苦々しい顔で見ている。
画面を見るとやっぱり父である。
「もしもし」
『亜衣! なんで電話出ないの!』
「ごめん、気づくの遅れて」
『もう約束の時間過ぎてるよ!』
壁掛けの時計を確認して、父の言う通りであることを認識し、やはり楽しい時間が過ぎるのは早い、と思う。待ち合わせ場所で私が来ないのを心配したり怒ったりしている父を想像して気が滅入った。そっと背後を確認すると、尊大に腕を組んでベッドに腰掛け私をじっとりと見つめる一対の瞳と目が合う。
「……あの、ちょっと話盛り上がっちゃって時間忘れてた……ごめんね、今からすぐ行くから、待ってて」
『仕方ないなあ、亜衣は』
秋吉の目がかっと見開かれ、嘘だろ、と小さくぼやく。そのまま、父との電話を切った途端、彼は喧々囂々とまくし立てた。
「待てよ、なんで、今から行くの? この空気で?」
「……でも、約束してるし……」
秋吉がそう言いたくなるのも仕方がないとは思っている。今日は誰も帰ってこないんだ、と言われてほいほいと彼の家までついていったのは私である。正直父との約束は今の今まで忘れていた。秋吉は、苛立ったように口を開きすっと息を吸った。
「どう考えても今からセッ」
「ごめん! 心の準備ができてないからそれはまた今度にして!」
ものすごく正直で直接的な単語を制して帰り支度をはじめる私に、あんぐりと口を開けて目を瞠っている。顔どころか首筋までが火照りだした私は、そそくさと部屋を出た。やっぱり私にはこの展開はまだ早い。
廊下を秋吉が追いかけてくる。そして、恨みがましい声を出す。
「マジで行くの」
「……ごめん」
怒りさえこもっているような視線を向けられて、まさかこれが原因で嫌われたりしないよな、とあらぬ心配が胸をよぎった。じわりと涙が浮かんだ私に、なにかを察したらしく彼は深々とため息をついた。
「正直納得いかないけど、まあ、これが最後じゃないしな……俺も急ぎすぎたかもしれないし、今日のところは……」
ぶつぶつとぼやきながら、私を玄関に誘導して自分も靴を履く。
「秋吉?」
「駅まで送っていく」
家を出ると、まだ明るい。夏は日が長いのだ。放射熱でむわりとする道路をふたりでかろうじて手が触れそうな距離を保って歩きながら、秋吉は言う。
「あのさ、言っとくけど一応怒ってるからな」
「……ごめんなさい」
「十月の文化祭の準備で、俺もう再来週には寮に戻るし」
「えっ」
兄が夏休み中は家にいると言うのでてっきり秋吉もそうだと思っていたのに。想定外の告白に顔を上げると、苦虫を噛み潰したような表情で、彼もこちらを見ていた。
「まだ七月だよ」
「再来週はもう八月だよ」
「でも、文化祭まで二ヶ月もあるのに」
「二ヶ月しかない」
まだとかもうとか、もとかしかとか、物ごとの捉え方は人それぞれである。寮に戻ってしまうと、そうやすやすとは会えなくなってしまうし、準備、ということは彼は忙しくなってしまうのだろう。その事実にしょんぼりしていると、秋吉はここぞとばかりに私との物理的距離を詰めて心的距離も詰めてくる。