03
「誰でもいいだろ。嫌がってるんだから、離せよ」
がっくりくる。彼氏なんて言ってもらえないのは分かってはいたけれど。
けれど、青井氏は私の腕を離した。彼の眼力のせいか、無言の圧力のせいかは分からない。面倒だと思ったのかもしれない。
「吉瀬さん、もしかしてこの間話してた奴、こいつなの」
「この間ってなんだよ?」
「男に遊ばれてるって」
今度は秋吉がたじろぐ番だった。言葉のパンチを避けるように顎を引き、秋吉が私の顔を覗き込む。というか青井氏、この間の私と友達のやり取りをちゃっかり小耳に挟んでいたのだな。
秋吉の細い指が私の腕に絡みつく。それから、ゆっくりとその腕が引かれて、私は抵抗もせずに彼に連れられて歩き出した。
「吉瀬さん」
青井氏は、私の名前を呼んだが、追いかけてはこなかった。
「……」
「……」
黙ってふたりで歩く。駅を離れてだいぶ経ってひとけのない道路に連れて来られた。駅前の喧騒とは雲泥の差がある高架下で無言で泣くのを我慢している私に、秋吉が困ったようにため息をついた。どうせこのあとお前はなんなんだと言う。
「お前なんなんだよ……」
ほら見ろ、鈍い私でも分かるのだ、彼は私のことなど眼中になく、こうやって泣くとうざったいと思われることや、そもそも泣いていい立場でないことが。やっぱり可愛い男の子が好きで、女の私なんかこうして面倒なことになるから嫌なんだって思っていることが。
「……この間」
困惑したままの瞳で、秋吉が話しだす。
「勝手にああいうことしたのは、そりゃ、悪いと思ってるけど、お前そのあとなにも言わなかったし、許してもらえたと思ってたけど、違うの?」
なんのことを言っているのか分からないほど馬鹿ではないけれど、彼はまるでとんちんかんなことを言っているとは思った。私が怒っているのは、キスについてのことではない。ゆるゆるとかぶりを振ったが、彼はそれに満足しなかったようだ。
「ていうか、俺のこと好きなんじゃねえのかよ。遊ばれてるってなに」
秋吉の話が脈絡がなくなってきた。私が秋吉を好きなら勝手にキスをしてもいいと思っているのだろうか。私が好きなら遊びじゃないと思っているのだろうか。
「お前がなに考えてるのか全然分かんない……」
「……秋吉のほうがなに考えてるのか分からない」
「俺?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、秋吉は戸惑うように私の顔を覗き込んでくる。まだ、涙はぎりぎりで瞳に留まっているけれど、今不用意に発言してしまった刺激によってあふれだしそうになってしまっている。声も、震えた。
「……」
鞄の紐を握りしめて涙をこらえる。うつむいた拍子に一粒だけ涙が零れた。慌ててそれを靴で踏んで隠す。
もう今にも水滴が瞳を濡らして頬に伝い落ちそうになっている。あと少しつつかれたら、たぶんぼろぼろと零れ落ちるだろう。
秋吉がなにを考えて私にキスをして、そして待ち合わせ場所であんなふうに自分のことを好きな人と仲良く話して、それで私を追いかけてきて見当違いの謝罪と俺様発言をしたのか、全然理解できない。
私は、秋吉が好きだ。だって、女だって分かったあとでも変わらず接してくれて、ピンチのときは口裏を合わせてくれて、寮長に襲われかけたときだってあんなに優しく頭を撫でてくれて。一緒にいる時間を重ねるごとに、私は秋吉に「比呂」としてではなく「亜衣」として見てほしくなっていて。それが叶ったのだから、もっと喜ぶべきで、高望みはしないべきで。