07

「気が合うな。亜衣をあんな目に遭わせたからには、寮長を放っておくわけにはいかない」
 男同士の密談怖い。
 おろおろしていると、兄はそそくさと服を脱ぎだした。
「とりあえず、あとは俺たちに任せて、亜衣はここから出ること」
「えっ」
「ほら、秋吉、着替えのぞかないで!」
 秋吉をぐいぐいと押して部屋の外に追いやり、脱いだ服を私に手渡した。それからしょっていたアメコミ柄のリュックの中身をベッドにひっくり返す。すると、どぎつい色のお菓子が山ほど出てきた。比喩ではない、ほんとうに一山できるほど出てきたのだ。このリュックのどこにそんな収納力があったのか、はなはだ疑問である。しかも、兄がリュックを振るとまだ小さいお菓子がぱらぱらと出てきた。
「土産」
「いらないよ、そんなの」
「じゃあ秋吉にやろうっと」
「秋吉は甘いものあんまり食べないよ。自分で食え」
 派手な柄のリュックを奪い、下着や生理用品、愛しのパソコンを詰め込む。と、そこでたんすの中を見ていた兄の顔がぱあっと輝いた。
「なにこの服! めっちゃいいじゃん! 俺こんなの持ってたっけ?」
 ゴールデンウィークの終わりに秋吉たちと行った買い物で入手したTシャツが二枚、兄の手に握られている。
「こないだ、秋吉たちの買い物に付き合ったとき、買ったんだよ」
「マジで? これ俺もらっていいの?」
「私が持っててもしょうがないじゃん。ちなみにそっち四千円。そっちは三千五百円」
「……」
 兄が商店街で叩き売りされていた偽ブランド品の財布を開く。覗き込む。残高三百二十円。そりゃあ、イギリスから日本までの交通費を考えたらスッカラカンにもなるよな。
「小遣い送られてきたら、私の口座に振り込んどいてよ」
「亜衣ちんシビアすぎ……」
 しょんぼりしている兄を横目に服を着替える。もともと比呂としてここに来たので、残していくものがほとんどで、荷物は少ない。荷造りはすぐに終わった。
「じゃあ、……秋吉に駅まで送ってもらう?」
「う、うん」
 部屋を出ると、落ち着きがなさそうに廊下に立っていた秋吉が顔を上げた。
「行くのか?」
「うん……」
「送ってく」
「ありがとう……」
 あっさりした態度の秋吉に、少しだけ心が痛む。彼は私と別れることなど全然平気なのだ。結局、女に対する誤解は解いたものの、恐怖心や不信感を拭い去ってあげるまでにはいたらなかったし。
 学園を出て駅までの道を歩きながら、秋吉はぽつりと言う。
「あのさ」
「……」
「……さみしくなるな」
「……比呂はいなくならないじゃん」
 傍目に見れば、何も変わらないのだ。薫だってほかの人だって、私たちが入れ替わったなんて夢にも思わない。二ヶ月間私がここで築いたものが無に帰してしまうのだ。秋吉以外は、誰も「亜衣」を知らない。
「亜衣はいなくなるよ」
「え……」
「お前は、比呂じゃないだろ」
 思わず立ち止まる。秋吉は、微笑んでいる。細い節くれ立った指が私の頬に触れて離れていく。その指は今度は、頭を撫でた。
「よかったな、もう、男だって偽る必要もないし、女物の服を我慢する必要もないし、それに……」
「それに?」
「……いや、なんでもない」
 言葉を濁して、秋吉は軽く私の背中を叩いて駅前のロータリーを横切った。改札の前で、私はもじもじと言葉を探していた。
「どうした?」
「……あの、さ……」
 こんなことを言っても許されるのだろうか、迷惑だと突っぱねられたりしないのだろうか。
「……もし、秋吉がよかったら、だけど」
「うん」
「こ、これからも友達でいてほしい」
「ははっ」
 笑われた。顔を上げると、秋吉がおかしくてたまらないというふうにこどもみたいな無邪気な笑みを浮かべていた。
「なに、当たり前のこと言ってんだよ」
「……」
「友達だろ、俺たち」
「秋吉……」
 感極まって泣きそうになったところで、秋吉が電光掲示板を指差した。
「電車、くるぞ」
「……うん、またね」
「おう」
 背を向けて、振り返らずにホームへと続く階段を上る。
 秋吉との別れの言葉が、さよならじゃなくまたねでよかった。これが最後じゃない、またきっと会える、そう思うことで、私は心に芽生えかけていた小さな気持ちにそっとふたをした。

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