06
「まだ失踪中だよ。パパ助が血眼になって探してると思う」
「ジェニーは?」
「あ? ああ、あれ、嘘。ジェニーなど嘘」
やっぱりか! と叫びだしたくなる。成人してない男女ふたりが暮らしていくには世間は厳しい。私は兄に詰め寄り、今までの鬱積を晴らすかのようにくだくだと文句を連ねる。
「私がどれだけつらい思いをしたと思ってるんだよ! 男として暮らすなんて無理に決まってんじゃん! ていうか、私もしかして犯罪の片棒担いでんじゃないのかって不安だし! いやこれもう犯罪だよね、替え玉という名の犯罪だよね! このクソ犯罪者!」
兄は黙って私の怒涛の聞いていた。そしてどしりと私の肩に手を置いて、にっこり笑う。
「大丈夫、それも今日で終わりだ」
「え?」
「今から、俺とお前が入れ替わるんだよ」
「……え?」
兄によると、ことの顛末はこうだ。すっかりイギリス暮らしが気に入ってしまい、試験は受けたものの姿をくらまして友達の家を転々としながらなんとかイギリスに居座り続けようとしたのだが、資金が底を尽きてへそくりを取りにこっそり父と暮らす自宅に戻った際、父が母とかわしていた電話の内容から私が兄の犠牲になっていることを知り、慌てて日本に帰ってきた。
「慌ててたわりには夜遊びとかしてたみたいだけどな?」
「あれ、なんでばれてる」
てか、亜衣ちんちょっと言葉使い乱暴よ、とふざけた口調でぬけぬけと言う兄の耳を思い切り引っ張る。
「いてててて」
「寮長に夜遊びしてるって誤解されたんだよ!」
「ふうん、いいから脱げや、交換だ」
兄には何を言っても無駄である。ところで、私は服を脱ぐことができない。理由は、私たちの言い合いに手を濡らしたまま唖然とした顔で立ち尽くしている男がいるためだ。
「あの、秋吉いるから、脱げない」
「あきよし?」
そこで初めて、兄がまともに秋吉と相対した。きょとん、とした兄は、けれどすぐに額に手を当てて敬礼した。
「どうも〜、亜衣ちんがお世話になってます〜」
挨拶が軽い。この状況に順応できていない秋吉は、濡れた指を伸ばして、兄を指差した。
「お前が、比呂?」
乾いた声で呟く。
「せやで」
胡散臭い関西弁で返答した兄に、秋吉の目線が私たちを交互にさまよった。
「あれ、もしかして事情をご存知ない?」
「知ってるよ。秋吉は全部知ってる」
「……ははん、ピンときた。亜衣、こいつとやったね?」
「やってねえよ!」
顔を真っ赤にして反論すると、兄はつまらなさそうに唇を尖らせた。そして、もう一度私に注意する。
「亜衣ちん、言葉使いがなってないよ」
「誰のせいだと思ってんの?」
「俺か」
髪の毛を乱暴に掻き混ぜて、兄は唸ってから腕組みをした。唇は尖ったまま、秋吉を舐めるように目を眇めて見た。それから、私の顔を見る。
「ところでさ」
「うん」
「なんで亜衣、泣いてたの?」
ぎくり、と肩が引きつった。それに敏感に反応した秋吉が、引きつった肩を宥めるように触れた。それだけでほっとしてしまう。やわらかく背中を撫でてくれる手に、また涙があふれだしそうになる。鼻をすすると、兄は表情を歪ませた。
「まさか……」
「お前が失踪したせいで、亜衣は強姦されかけたんだよ」
秋吉が、私を守るように兄との間に立った。身体に力が入らなくて、背中にしがみつく。震える私を振り返ると、頭を撫でる。亜衣、と呼んでくれたのが無性にうれしくて、私はずっと、「比呂」としてではなく「亜衣」として秋吉と一緒にいたいと思っていたのだと気づかされた。
「誰に? ちょっと俺返り討ちにしてくるわ」
驚くほど冷たい目をした兄が、ぽつりと呟く。忘れていたが、兄は超ド級のシスコンである。そして、それを見た秋吉がにたりと笑った。