02

 なぜか、そのときの気持ちを、彼の視線で思い出してしまった。
 急に箸を止めた私に、不審げに薫が聞く。
「腹減ってたんじゃねえの?」
「ああ、うん……ちょっと考え事」
 恋は人をきれいにすると言うが、ときに醜くもするのである。
「何考えてたの?」
「いや、昔さ……って誰が言うか馬鹿」
「チッ、誘導尋問失敗」
 舌打ちした薫を笑いながらも、秋吉は静かに食事を続けている。その振る舞いは大人顔負けで、最近まで中学生だったくせに非童貞でしかも八人と付き合っていたっていうのもあながち嘘ではないなと納得させられる。
 今日の味噌汁ちょっと濃いな、なんて思いながらずるずるすすっていると、目の前に影が差した。お椀から口を離して見上げると、発展途上な中性的でごちそうさまな身体をしたあどけない顔の少年がそこに立っていた。
「なんですか?」
「ちょっと、時間ある?」
「比呂は今飯食ってんだよ、見て分かんねえのかボケ」
「薫!」
 なぜか不機嫌な薫を諌めて、私は立ち上がる。
「味噌汁飲み終わってからでもいいい?」
「あ、うん」
「食堂の入口で待ってて」
「うん」
 発展途上、と言っても私よりも少しばかり背が高い。兄を少し越えるくらいか。いや、兄も伸びたかもしれないな、久しく会っていない。雲隠れした兄を恨みながら入口まで行くと、あの可愛い子が立っていて、発展途上少年は気まずそうに離れていった。つまり、呼び出されはしたけれど、相手は彼ではなくて、この子、ということ?
 どうして自分で呼びにこなかったのだろう……ああ、そうか、秋吉が私のとなりに座っていたからだ。
「ええと、何?」
 可愛いその子は、私と同じくらいの身長なんだが、ぱちくりした瞳に長い睫毛、ほんのりと赤く染まった頬に尖った唇が、女装しても確実にばれないよと教えてくれる。絶対乳首ピンク色だ。と言うより、女の私よりも可愛い。女装などしなくても私より可愛い。それって女の私としてはどうなのだ。
 なんて思っていると、ためらいがちにその子が口を開いた。
「あの、あき、……新田くんと、付き合ってるの?」
「え?」
「すごく仲いいみたいだし……手も握ってたし……」
 秋吉のことを名前で呼びかけて、苗字で言い直す。それだけのことで私は、彼と秋吉の間になにがあったのか、予測を確信に変えた。彼はどれほど傷ついただろう。もう呼べない名前、好きな人の名前。私にも片想いの経験くらいある。心の中では彼の名前を呼んでいても、現実では苗字でしか呼べない、そんな心臓が縮こまる気持ちを知っている。ましてや、この子は秋吉と付き合っていたのだ、その心の痛みはどれほどだろう。
「付き合ってないよ」
「えっ」
「いい奴だと思うけど」
「……」
「同じだね」
 へへ、と照れくさくなって情けない笑みを浮かべた私とは対照的に、彼の眉はぐっと上がった。
「一緒にするなっ」
 彼が叫んだ。私はびっくりして一歩下がる。その子は睨むような目つきで見て、吐き捨てた。
「俺は秋吉と付き合ってたんだ! 単なる片想いのお前と一緒にする、な……」
「もう終わったことだろ、宗」
「あ、秋吉」
「新田、くん」
 宗、と呼ばれた彼が、顔を青ざめさせる。振り向くと秋吉が腕を組んで不機嫌そうな顔で立っていた。私はそれを、手を口元に当てたり必要以上にいまばたきの回数を増やしたりと思い切り挙動不審になりながら、秋吉が喋りだすのをひたすら待っていた。
「呼びだした奴が帰ってきたのに、比呂が帰ってこないから、心配した」
「秋吉……」
 長いため息が、ほんとうに心配させたことを物語っている。なんだか私のせいではないけれど申し訳ない気持ちになる。
「や、やっぱり付き合ってるんだ……」
「付き合ってないけど、付き合ってたとして、宗にはもう関係ないだろ」
 彼の瞳が、傷ついたようにまたたいた。
「秋吉、言い過ぎだよ」
「勘違いさせてつけあがる奴もいるからな。終わったことは引きずるなってこと」
「ひどい、引きずることの何がいけないんだよ」

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