六本目の指

「朝起きたら、左手の指が六本になっていた。」
 そんな告白を電話で受けてもふつう本気にしないだろう。だって先日会った時も彼の指は五本だったのだから、今朝になっていきなり増えるはずがない。しかも彼はなぜかちょっとうれしそうだ。私は怪訝に思い眉を寄せた。
「ねえ、なぜそんなに声が弾んでいるの?」
「それはね」
 ふふふ、と笑んで彼はそっとその理由を教えてくれた。
「増えたのは薬指なんだ」
「そう、それで?」
 増えると言ったら端が増えそうなので小指か親指が増殖したのかと一瞬想像したが、違うらしい。
「これで、指が一本空いた」
「……どういうこと?」
 さっぱり分からない。これだから中年男性というのは理解しがたい。指が一本空いた、って。増えたんでしょう。まだ見てないので信じてもいないが。
「妻との指輪を外すことはできないけれど、君との指輪もつけたいと思っていたから」
「……」
 増えたのは薬指なんだ。
 そんな、数瞬前の言葉が頭で反響した。私は何も言えずに、携帯を耳に当てたまま立ち尽くす。無意識に親指の爪を噛んでいた。
「少しずるいけど、きっと妻もこれなら許してくれる」
「……」
 ほんとうにうれしそうに笑うので、私はふと彼に会いたいと思ってしまった。会って顔を合わせて、その六本になった指を見て、笑い飛ばしてやりたくなってしまった。そんな些細なことでうれしがっていたら、奥様に呆れられてしまうわよ、と。
「ねえ、結婚しないか」
「……私、電話やメールでの告白はお断りしているの」
「じゃあ今夜。今夜改めてするから、時間を僕にくれないか」
 私のせめてもの強がりをあっさり見破ってけれどそれには触れないで、彼はとてもうれしそうに笑う。その枯れた頬が緩みきっているのを想像すると、どうしても涙が出てきそうだ。鼻をすすって、涙をぐっとこらえて言う。
「別に、いいわよ」
「うん。ありがとう」
 まるで私が断らないと信じて疑っていない彼は、そう言って電話を切った。携帯が熱を持って、それが耳やこめかみに伝わる。彼の唇のあたたかさのようで、また涙腺が刺激された。
 仕切り直しのプロポーズを、私はきっと泣いて受けるのだろう。そんな近い未来を想像して自分の甘さにげんなりしてしまう。
 電話が来る前に飲もうと思ってティーバッグを浸していたお湯は、もうすっかり濃い赤色になっていた。窓辺に立って空を見上げる。ねえ奥様、残りの彼の人生を、私がちょうだいしてしまっても、怒らないわよね。


20140621
20140625