死神の慈悲を

 今は真っ白で、透き通るようなその細腕が昔は鮮やかな小麦色だったことを思い出す。日によく焼けて健康的で、釣りが好きで山登りも好きで、食べることと動くことが大好きだった、健康を絵に描いたような人。
「……間山さん、こんにちは」
「ああ、こんちは」
 見舞いバッヂを胸につけて病棟に向かうと、間山さんは釣り雑誌を読んでいた。知り合いからの見舞い品らしい。その手は、不自然なほどに白くて細い。それを見るたび、私はとても悲しくなる。
 雑誌をベッド横のテーブルに置いて、間山さんは私に向き直って昔と同じような快活な笑みを浮かべた。それはたしかに快活だったのだけれど、以前のような精悍さはなく、どこか弱さを感じさせる。私はそんな哀愁をごまかすように、持っていた袋を突き出した。
「あの、お見舞いです」
「おう、いつも悪いな」
 私は知っている。私が買ってきたお菓子がもう間山さんは食べられないことを。すべて看護士さんやほかの見舞客に振る舞われていることを。それでも私は、看護士から白い目を向けられようとも間山さんが取り繕うように困った笑みを浮かべようとも、それでもお菓子を買うことをやめられない。
 いつか、いつか間山さんが前のように健康に戻って、お見舞いです、と言って渡せばその場でむしゃむしゃと食べてくれる、そんな光景を夢見てしまっているから。
「間山さん、最近少し痩せましたね」
「ん? ああ、こうもベッドに縛り付けられてるとなあ」
「ちゃんと病院内の散歩くらいしてください」
「おう」
 もう間山さんは、一人では歩くこともままならない。それも知っている。けれど私がそこで沈んで悲痛な顔をしたところでどうなるというのだ。
 私は、知らないふりをして間山さんに空気の読めない発言を繰り返す役目を、誰が止めようとも演じ続けなければならない。それが、間山さんの生きる希望に何度でも火をつけるから。
 皆が皆、もう間山さんは余命幾ばくかだと言って悲しそうな顔をする。お見舞いもいつも通夜のようだと看護士さんたちは言っている。だから私は、私だけは能天気なお見舞い客でいるしかないのだ。
「そうだ間山さん、病気が治ったら、旅行に行きましょう」
「旅行?」
「私、伊勢神宮に行きたくて」
「ああ、そんなんダメダメ、神頼みなんてお前らしくねえぞ」
「そうでしょうか?」
 神頼みなんて、私らしくはないけれど、実は間山さんに内緒でお百度参りとかしているし、健康祈願のお守りだって買った。どの神様だったら間山さんを助けてくれるのか分からないから、寺にも行ったし神社にも、教会にも行った。まったく信心などないし、こんなふうにたくさんの神様にお願いしていたらどの神様にも見放されてしまうかもしれないけれど。それでも、頼れるものは頼っておきたかった。
 間山さんが今いなくなってしまったら私はとてもさみしい。
「元気になったら私山登りしてあげてもいいですよ」
「お前みたいな体力のねえ奴ぁ、足手まといになるだけだ」
 そう言いながら嬉しそうじゃないか。間山さん、ねえ間山さん。朝早くの釣りの準備だってもう嫌がったりしないし、登山道具にお金をかけることに文句なんか言わないから。だから戻ってきてよ。
「……元春さん」
「……なんだ、急に」
「私ずっと名前で呼んでみたかったんです」
「俺が死ぬから記念に、みたいな呼び方やめろよ」
 ははは、と笑った間山さんに、私ものんきに笑い返す。
 ねえ間山さん、ほんとうは分かってるんでしょ、すぐそこで死神が笑っていること。もう自分の首すれすれまでその鎌がかかっていること。
 私を置いていくの、怖いんでしょ。知ってますよ。
 間山さん、私一人じゃないんです。おなかに新しい命があります。今はまだ間山さんには言えないけれど、元気になったらエコー写真を見せてあげたい。
 おなかが大きくなってきたら、さすがに気付くかな。気付いても、気付かないふりをするのかな。
 間山さん、元気になったら、この子と一緒に散歩しようね。


20140610
20140619