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 寿には、「クリスマス直前にふられるとかつらすぎ」と言われたものの、わたしはイベントをそんなに大事にするタイプではないので大した痛手ではない。ただ、今頃寿たちがいちゃいちゃケーキでもつついているのかというのを考えるとはらわたが煮えくり返ってくるし、元恋人と親友がロマンチックにイルミネーションを見ているのを想像すると、控えめに言っても百万回殴りたい。
 というわけで、わたしはひとりでコンビニのケーキをつつきながらノンアルコールのカクテルの缶のプルタブを起こし、和成さんとおしゃべりをしている。
 たぶん、今日の昼間と同じようなぽっかりと空に穴が開いたかのような晴天の日のことだった。わたしは、ふとそのことを思い出す。
 受験で地元から出てきていて、ひとり暮らしをしている従姉の家にやっかいになっていたときだ。

「あっ、牛乳ない。多英ちゃん、ごめんけど駅前のスーパーで買ってきて」
「分かった。一本でいい?」
「うん。あっでも多英ちゃんもコーヒーに牛乳入れるよねえ……」
「じゃあ、二本買ってくるね」
「ありがと! 道分かる?」
「散歩がてら迷いつつ行ってくる。大丈夫」

 従姉の家の鍵と財布と携帯だけ持って、外に出る。暖房のきいた部屋で参考書の文字ばかり追っていたので目も疲れているし身体がなまっている。ちょうどいい気分転換だ。大きく伸びをして歩きだす。
 あまり人の気配のしない午前中の中だるんだ時間帯だ。辺りの家も静まり返っていて、住宅街はひっそりとしていた。
 明日は本命の大学の受験だというのに、わたしは牛乳を買いに使いっ走りにさせられている。そのことが、嫌ではなくなんだかおかしくて、ついでに従姉の酒のつまみも買っていってあげようと思い立つ。
 駅前は、ここに着いたときも思ったけれど、そこそこの賑わいを見せていて、従姉が指定したスーパーのほかにも、ごちゃごちゃと店やパチンコ屋が並んでいた。人もぐんと増える。散歩がてら、と言ったとおり、わたしは牛乳を買う前に少し辺りを探索することにする。
 コンビニもあるな、従姉の家は駅からほど近いし、通っている路線的にはそんなに便利じゃないけれど、暮らすのに問題はなさそう、と思っていると、そのコンビニの裏から男の人の声がした。

「金持ってんだろ、出せよ」

 そっと顔だけ覗き込むと、駐車場とコンビニに挟まれた死角で男の人がカツアゲされているようだった。ふたりの、金髪と茶髪の怖そうなお兄さんに囲まれて、細身のトレンチコート姿の男の人がおどおどしている。

「とっとと財布出せよ」
「すみませんが、今持ち合わせがなくて」
「ああ?」

 おどおどしている、と思ったが、意外にも声は震えていないし、俯いているのはなんだかふてくされているかのようにふてぶてしくも見えてきた。けれど、怖がっていなかろうと持ち合わせがなかろうと、カツアゲされている事実は事実だ。わたしは辺りを見回して、一本挟んだ通りを警官がカツアゲ現場とは逆方向に歩いていくのを発見し、叫んだ。

「おまわりさん、こっちです!」
「え?」

 はっと、男の人を囲んでいたふたりが顔をこちらに向けた。警官がわたしの張った声に気づいてこちらに近づいてくる。それと同時に、カツアゲしていたお兄さんたちがばたばたとわたしの横を走り抜けていく。

「あ、ちょっと、お前ら待ちなさい!」

 逃げたふたりを即座に警官が追いかける。叫んだわたしよりあのふたりを追いかけることを優先した警官を見て、もしかして、この辺りでは有名な不良だったのかもしれないと思った。
 お兄さんたちも逃げたし、警官もこちらには来ないようなので、わたしはカツアゲされていた男の人に近寄った。

「あの、大丈夫ですか?」
「……すごい勇気ですね」

 お礼より何より先に、そう言われて思わず笑う。わたしも、たしかに考えなしに叫んでしまったと反省していたところだ。人助けで自分に危険が及ぶかもしれない事態になるなんてちょっと馬鹿らしい。けれど結果的にたぶん逃げたお兄さんたちはわたしの顔なんかろくに見ていないだろうし、このお兄さんも助かったのだし、よかったではないか。

「もしあなたに矛先が向いてたらどうするつもりだったんですか」
「でも、実際のところそれは回避できたので、いいじゃないですか」
「……。ありがとうございます、助かりました」

 逃げた髪の色の派手なお兄さんたちは、もしかしてわたしと同い年くらいだったかも、と思うくらいに顔立ちは幼かったが、このお兄さんは明らかにわたしより年上だろうなと思う。華奢な身体つきをしていて、ああいう人たちの格好の餌に、いかにもなりそうである。わたしの言い分に一瞬呆れたように口をつぐんだ彼は、口元だけを笑みのかたちに歪めて、恭しく頭を下げた。

「あ、わたし牛乳を買いにきたんでした」
「え?」
「すみません、従姉が心配するので、早く帰らなきゃ」
「あっちょっと」

 お兄さんが呼び止めていたような気がするが、すでに探検でけっこう時間を浪費してしまっているので、これ以上帰るのが遅くなったら、従姉に迷子になったと思われてしまう。そそくさとお兄さんをコンビニの裏に残し、わたしはスーパーに向かった。

「……和成さん、一年くらい前にカツアゲされませんでした?」
『ああ、やっと思い出しました?』
「え」

 あのとき、ろくにお兄さんの顔も覚えていなかった、というより受験のほうが忙しくてすっかり忘れていたが、もしかして和成さんの声に懐かしさを感じたのは、あのとき交わしたほんの少しの会話のせいだったのだろうか、と今更思い出したのだ。
 電話口で和成さんがくすくすと笑う。

『俺は、あなたの顔ちゃんと覚えてたのに』
「す、すみません……やっぱり和成さんだったんですよね」
『そうです。カツアゲされてました』

 カツアゲされていたなんて、堂々と威張ることでもないので、そうもあっさり言われてしまうと少し腑に落ちない。

『俺こんな見た目なのでたまにああいうのに絡まれるんですよね』
「……気をつけてくださいね」
『多英さんも。ほんとうに、あのとき助けていただいたのはありがたかったですけど、ああいうのに遭遇したときは女性は逃げましょうね』
「……」
『見過ごすのもまた、勇気なんですよ』

 ぐうの音も出ない。たしかに、あのときの行動は軽率だったなと自分でも思う。従姉に遅くなった理由を正直に述べた際にもこっぴどく怒られた。多英ちゃん、そんなのはねえ、無視しておけばいいの、心を鬼にしないと自分を守れないよ!
 最近和成さんは、夜の十時過ぎになると毎日電話をくれる。わたしのほうからは遠慮して電話してこないと思う、と言って自らかけてきてくれるのだ。わたしのことを気にかけてくれているのは分かるけれど、負担ではないだろうかと少し不安だ。でも、やはり怖いものは怖いので、ついつい甘えてしまう。

「和成さん、お時間大丈夫なんですか?」
『大丈夫じゃなかったら電話してません。今は、バイトの帰りなんで外ですけど……あ、月がきれいですけど、多英さんは窓開けないでくださいね』
「バイトって?」

 初耳だ。とは言え、大学院生ももちろん霞を食べて生活しているわけではないので、生活費は稼がねばなるまい。彼の見た目だけなら、霞を食っていると言われても納得してしまいそうだし、わたしは彼に対して一日サラダボウル一杯分の霞を食べて生活している、という印象を抱いてはいるが。