23.5


 事務所からの道のりをほぼ走るようにして急ぐ。なんで今日に限ってあたしじゃないと対応できないような事件が発生してしまうのよ、この、今日という日に限って。あのクレーマークライアント絶対殴る……。
 家まであと少しというところで、歩きながら鞄に入ったキーケースを取り出した。足は止めない、止められるはずがない。
 ドアの前で、鍵穴になかなか鍵が刺さらなくて焦る。派手に音を立ててドアを開け、琥太郎がいるであろう寝室のドアを勢いよく開ける。

「こたろ……、……?」

 泥棒に入られたかと一瞬思った。ぐちゃぐちゃのしっちゃかめっちゃかになった部屋の惨状。クロゼットが開け放たれて、あたしの服が全部引っ張り出されている。

「……琥太郎?」

 ふたりで寝ているベッドの上に、あたしの服が山盛りだ。なんだ、これは。そして琥太郎はどこに?
 戸惑いを隠せないまま、ベッドに近寄る。そして、あたしの衣服の隙間から手が出ているのに気がついた。琥太郎だ。

「琥太郎、琥太郎」

 衣服を掻き分けると琥太郎がその姿を現した。かわいい顔を真っ赤にしてとろとろと眠っている。そっと額に手を滑らせると、しっとりと熱い。
 そして、ふと友達の話を思い出す。……友達と呼ぶには、向こうはあたしを女のアルファでると見くびって完全に見下していたのだけれど。

「オメガの巣作りはいいぞぉ、全身で求められてる気がして、たまらない」

 なるほど、琥太郎はあたしの衣服で巣を作っていた……、というわけだ。
 ファッションブランドを展開しているあたしは、プライベートでも服をたくさん持っている。よく見れば、一度や二度着ただけでは洗わないような上着もベッドの上に散乱していて、そうか、琥太郎はあたしの匂いをたどっていたのだと分かる。
 今日は満月だ。琥太郎の発情がピークになる日。
 あたしの肌着を抱き込んで幸せそうに眠っている琥太郎に、この部屋に充満する琥太郎の発情期の匂いに、ついむらっとする。
 なんなのこのかわいいいきもの……。

「……ん」

 ふと、琥太郎のまぶたが裂けてその目があらわになる。とろん、と夢をみているような甘いまなざしに、あたしが映る。

「……おり」
「ただいま。ひとりにしてごめんね」

 は、は、と浅い息をついて、琥太郎があたしに手を伸ばす。
 涙目で、琥太郎があたしの後頭部を掴んだ。ん、と思っているうちに、頭を引き寄せられて唇が重なる。ぺろぺろと、子犬のようにあたしの唇を舐めている琥太郎に、そんなに太くない理性の糸があっさり切れた。

「こたろ、ちょっと、靴だけ脱がせて」
「待てない、はやくしろ……」

 慌てて、靴を脱いで自分の服まみれのベッドに上がる。身に着けていた上着を琥太郎の上に降らせると、それをぎゅっと抱きしめて顔をうずめる。やらなければよかった、目の毒すぎる。
 服を脱ぐあたしに、琥太郎が期待するような目を向ける。あさましく腰を揺らし、足を開く。
 最近琥太郎がおかしい。
 離れ離れになる前は、絶対にプライドが先行して自分から求めるような言葉や行動はとらなかったのに、同居をはじめて最初に発情期がきた先月は満月の前夜からそわそわとあたしを無言で誘ったし、今日なんて自分から足を開いている。
 うれしい、うれしいけど、いったいどういう心境の変化が……?

「こ、琥太郎、何かあった?」
「え……?」
「えっと……」
「……いいからはやく抱けよ……」

 下着一枚で、あたしの腰に自分の腰を押しつける琥太郎は、ほんとうに色っぽくてかわいい。あたしの、あたしだけの運命のつがい。
 すり、とあらわになっている腹に手の甲を滑らせる。

「ん……」

 ぴくん、と身体を引きつらせた琥太郎に、ぶわりと胸の内が燃えさかる。もう我慢できない。

 ◆

 再会して仕事を辞めてもらってニューヨークへふたりで戻ってきた。でも、やっぱりと言うかなんと言うか、琥太郎はピルを飲み始めた。いわく、妊娠は計画的に、らしい。
 だから気兼ねなく、満月が欠けるまで、琥太郎とつながっていた。発情期こわい。
 ぐずぐずになった琥太郎をお風呂に連れて行って、しっかりきれいにしてあげてから、まだぼんやりしている彼をソファに座らせて、背後からドライヤーを当ててあげる。
 すごかった。かわいいしえっちだし、色っぽいのにあどけなくて、もうとにかく最高だった。
 でも、不安もある。あれほど、元アルファとしてのプライドを大切にしていた琥太郎が、どうしてあんなに素直にあたしに足を開いたのだ。
 先月から、もやりとしていてなるべく考えないようにしていた悪いことが、はずみをつけて頭の中を転がり始める。
 琥太郎は、あたしと再会するまでの間に、誰かに身体を、心を許しただろうか。それがきっかけで、こんなにえろかわいくなっちゃったんだろうか。

「織……?」

 いつの間にか、意識がはっきりしていた琥太郎が、ぼうっとドライヤーの風をあらぬところに当てているあたしに話しかける。

「あ、ごめ、なに?」
「コーヒー飲む? 淹れるよ」
「わあ、飲みたい……」
「……?」

 精一杯明るい声を出したつもりが、訝しがられてしまう。琥太郎の手が伸びてくる。

「どしたの? なんか変だぞ……」
「……あ、え、っと……」
「…………まさか」
「え?」

 琥太郎が、お風呂上がりでほんのり赤く染めていた頬を、さっと青ざめさせた。

「いや、あれは、片づけるから、ちゃんとあとできちんと片づけるし、俺が汚したやつは洗うから」
「へ?」
「ごめん、その……、織がいないから気づいたらあんなことになってて……発情期のせいにしたらいけないとは思ってるんだけど、なんだ、なんて言うか、別に織が出かけたくて出てったわけじゃないのは分かってるから、我慢するつもりだったんだ、帰ってくるまでは……でも、たぶんお気に入りのやつにぶっかけたし、ごめん、取れなかったら弁償する……」

 どうやら琥太郎が、あたしが戻ってくるまでに繰り返した自慰や、あたしとの行為の途中で汚した服について謝っているようなのは分かる。でも、てんでお門違いだ。

「違うの……そんなのどうでもいいのよ……」
「……じゃあなに……」
「琥太郎、なんでそんなに素直なの?」
「……え?」

 眉を下げたあたしに、琥太郎がきょとんとして、え、とこぼす。

「だって前はプライドがちがちで発情期だからって絶対あたしに自分から足開いてくれなかった! 誘ってくるのも、らしくないよ! ほんとは、ほんとは琥太郎、あたしと離れてた間に誰か恋人がいたんだわ、それでその人に素直になる方法とか教えてもらって……」
「ストップ!」

 泣き出しそうになっているあたしに、琥太郎が待ったをかけた。

「何言ってんの!?」
「何って、琥太郎が急にえっちになったからおかしいって言ってるんじゃない!」
「俺はえっちじゃない!」

 真っ赤な顔で怒鳴られてもこわくもなんともないけど、あたしは不安でぐるぐるだった。
 えっちで素直な琥太郎もかわいいけど、でも、あたしの知ってる琥太郎じゃない。それがこわい。

「…………つまりあれか、織は、俺が素直なのがお気に召さないのか」
「そういうわけじゃないけど……でも……」
「人がどれだけ恥を忍んで発情期でごまかしたと……」
「……。え?」

 顔を上げると、琥太郎が熟れたトマトみたいな真っ赤な顔でうつむいて唇を噛み締めていた。涙目になっている。

「どういうこと……?」
「あーもう! 俺は! おまえと離れてる間ご無沙汰だったからつがいが近くにいる発情期が久々で程度がひどいの! それに、せっかくまたこうして一緒にいられるんだからちょっとくらい俺だっておまえのこと求めてるんだって示したかっただけなの! それを何、人が浮気したかのように……!」

 ほとんど泣いてる。

「織が俺を求めてくれてるみたいに、俺だって織が欲しいって、今度こそ態度に出そうと恥を捨てただけだろ! なんで疑われてるんだよ! おかしいだろ!」

 怒涛の勢いで主張をした琥太郎が、息を荒らげて、たぶん羞恥でぽろぽろ泣き出した。
 そしてその主張を受けたあたしは。

「ムカつくんだよその顔!」
「こたろ〜!」

 にやにやが止まらないで、ソファを飛び越えて琥太郎に抱きついた。あたしのほうが力は強いけど、琥太郎だって非力なわけじゃない、飛び込んできたあたしをしっかりとキャッチして、それでもかたくなに目が合わない。

「好き! 大好き! 琥太郎、疑ってごめんね!」
「マジでそれな! 俺疑われ損だからな!」
「琥太郎、ありがと」
「…………」

 真っ赤になってそろそろ限界を超えるふうな頬にそっと唇を寄せる。それから、床に足をつけて、琥太郎のスウェットのゴム部分から手を入れる。

「ちょ」
「ねえ、もう一回、あたしの服まみれのベッドでどろどろのぐちゃぐちゃになるセックスしよ」
「しねーよ! 俺はもう疲れた!」

 あたしは知ってる。優しい琥太郎は、このあとなんだかんだ、あたしの手に落ちてきてくれることを。

mae|tsugi
modoru