OMAKE
いい子になれなかったこども

 サンタという存在を、たぶん周囲のこどもたちよりも遅く知り、そして周囲のこどもたちよりも長い時間信じていた。
 なぜなら俺には、「サンタはパパなんだよ」と教えてくれる兄や姉も友達もいなかったし、そもそも俺のところにサンタは来たことがなかったから。

「いい子にしてたらサンタさんがプレゼントをくれるんだよ」
「靴下を枕元に置いておくんだよ」
「オレ今年は新しいゲームが欲しいんだ!」

 いい子にしていたら、サンタが枕元に置いた靴下に欲しいものをラッピングして入れてくれるらしい。
 そうなんだ、と知った。
 たぶん僕はいい子ではないから、僕はいらないから、だから一度も枕元にプレゼントがあったことがないのか。
 そんなふうに妙に納得したのが、たしか小学校一年生の頃。
 幼稚園には行っていなかったから、サンタという存在を知ったのは小学校に入学してからだったし、そしてサンタはその年いい子にしていたこどものところにしか来ないことを知ったのも、同時だった。
 そりゃあ、実の母親に嫌われて、そのときは実の父親だと思っていた彼にも嫌われていた俺のところに、サンタが来るはずもない。
 でも、サンタのことを知りさえしなければ最初からなかったことになるのに、知ってしまったからには、幼心に当然同級生をうらやましいと思ったし、妬ましくも思った。

「…………え?」

 朝。
 起きたらとなりに比奈がいなくて、代わりにでっかいくまのぬいぐるみが寝ていた。……いやこの俺よりデカいくまをもはやぬいぐるみなどと呼んでいいのかはちょっとはばかられる。ぬいぐるみだけど。
 どっかで見たなこのくま……と数秒寝起きの頭で考えて、思い至る。

「コストコ」

 ぼそっと呟いたところで、寝室のドアが開いた。

「あ、先輩起きてる!」

 ぴょこ、と顔を出したのはかわいいかわいい俺の比奈で、へにゃ、と俺も表情を緩める。

「おはよ」
「あ! 先輩、それなに!?」
「それ?」

 比奈が何をそれと言っているのか分からなくて、軽く上体を起こしたままきょとんとしていると、ととと、と駆け寄ってきた比奈が、くまの手を取る。

「これどうしたの!?」
「……は?」

 どうしたって? そんなの俺が聞きたいんだけど?

「比奈が置いたんじゃないの?」
「……比奈、知らないよ!」

 今の間、絶対知ってるじゃん。
 眉を寄せて比奈を見ると、唇を尖らせて頬をちょこっとだけ膨らませて、知らない、ともう一度言う。
 どうやら比奈は自分の仕業にしたくないらしい。なので、俺も、そうなんだ、ととりあえず納得した体を見せる。

「そうなの? 比奈じゃなかったら、誰だろ?」
「……! サンタさんじゃない!?」
「…………」

 あ。あー。はいはいはい。
 そういうことね。
 これはいわゆる、比奈からのドッキリ、サプライズだ。
 そういえば今日、十二月二十四日だ。……ん? 二十四日?

「今日、クリスマスじゃなくない……?」
「え? …………ん?」

 比奈が、枕元にある時計を見る。日付も表示されるデジタルのやつだ。
 それをまじまじ見て、えっ! と大声を上げた。

「一日間違えちゃった!」

 今言ったな。間違えちゃったって言ったな。せっかく俺が知らないふりしてあげたのに。
 聞かなかったことにしてやるか。

「サンタさん、あわてんぼうだったんだね」
「……そう! サンタさん! サンタさん、あわてんぼうだったんだね!」
「てか、これもしかして俺に?」
「そうだよ! 先輩今年一年いい子にしてたから、きっとサンタさんがプレゼントくれたの!」

 いい子。
 その言葉に、遠い昔の記憶がふわっと呼び起こされた。
 サンタという存在を知った小学校一年生の冬に、なんとなくそわそわしながら靴下を枕元にそっと置いて眠りについた十二月二十四日の夜。目覚めた朝、変わらずそこにあった靴下を見て、落胆した。
 それと同時に、なんとなく腑に落ちた。
 今年、どうやら自分はいい子ではなかったようだ、と。
 次の年も、その次の年も、遠慮がちに靴下を枕元に置いて寝ていたけど、その靴下が膨らむことはただの一度としてなかったし、サンタは実は親だと知ったのは、中学三年生の冬、女の子の部屋でクリスマスの話題になったときだった。
 クリスマスは暇かと聞かれてなあなあに応えているうちに、サンタクロースの話題になって、当時高校生だった相手に今年はサンタに何をねだるのか聞いたらかわいいと笑われた、ちょっと忘れたい記憶だ。

「先輩?」

 はっと、意識が現在に引き戻される。

「……俺、いい子だった?」
「えっ? うん、たぶん? じゃないとサンタさん来ないもん」
「どれくらいいい子だったの?」
「えー? えっとねぇ……えーっとね、これくらい!」

 比奈が、両手を大きく広げて全身でまるをつくった。
 いい子度ってそうやって表せるんだ……。

「先輩は今年たっくさんいい子だったから、こんなにおっきいくまちゃんもらえたんだよ!」

 プレゼントのサイズっていい子度で決まるんだ……。

「サンタさんもコストコ行くんだね」
「サンタさんは、コストコのエグゼクティブ会員だからね!」

 サンタさんって拓人だったんだ……。

「……どうしたの? 先輩、もしかしてあんまりうれしくなかった……?」

 俺の反応が薄いことを、そろそろ比奈が疑問に思い始めたようである。
 サンタがコストコのエグゼクティブ会員であること、今年の俺が比奈が小さな身体でいっぱいいっぱいつくった大きさの分いい子であったこと、このくまはいったい何センチあるのかということ、どうしてもサンタの仕業にしたいらしいこと。

「せ、先輩?」

 慌てた様子の比奈の姿がぼやけて、それでも近づいてきたのは分かった。
 そして、そっともふもふの部屋着の袖で、俺の頬を拭う。

「どしたの? おなか痛いの?」
「…………俺、サンタさんが来てくれたの、初めて」
「え?」
「今まで一回も、サンタさん、俺のとこに来てくれたこと、ないんだ」
「……」

 比奈が眉を下げて、そうなんだ、と消え入るような声で相槌を打つ。
 違う、悲しい話をしたいんじゃない、比奈に気を遣わせたいわけでもない。

「だから、俺今年いい子にしてて、よかったなあって思って」

 ベッドに乗り上げて俺の頬を一生懸命拭う比奈ごと、くまを抱きしめる。
 いやデカいな。ふつうに腕回り切らない。

「そっか、サンタさん、エグゼクティブ会員なんだ、ふふ」

 何度噛み締めても、やっぱりその事実だけは面白い。
 見下ろすと、腕の中の比奈は、ムニュムニュと唇を動かして、何か言おうとしている。首を傾げて言葉を促すと、そのやわらかなほっぺがとろんと落ちたみたいに緩んだ。

「きっと先輩、来年もいい子だから、来年はもっと素敵なプレゼントがあるよ!」
「そうなの? 例えばどんなだろ?」
「うーんとね、えーとね、……もっとおっきいくまちゃん?」
「これコストコで売ってる最大サイズだよ」
「そうなの? じゃあアマゾンで買う」

 もう自分で買うって言っちゃってるじゃん。

「俺ね、もっと欲しいものあるなぁ」
「えっ、なに、なに!?」
「ちっちゃくてぇ」
「うん」
「金髪の巻き毛でぇ」
「うん」
「おめめがびっくりするくらいおっきくてぇ」
「……わんこ?」
「ほっぺはピンクでぇ」
「違った……」
「お肌がすべすべでぇ」
「うん……?」
「細っこくてぇ」
「……うーん?」
「料理がじょうずで、俺のこといい子だって言ってくれて、サンタさんに俺のプレゼントをお願いしてくれて、でもきっとサンタさんと一緒にコストコに行ってテンション上がってロティサリーチキン買っちゃったんだろうな、って感じの女の子が欲しいんだけど」
「……」
「くれる?」

 数日前の夕飯で突然丸焼きのチキンが出てきたことを思い出し、あれは今日の伏線だったな、と今更ながらに納得しながら、大きな黒目がちの瞳を覗き込むと、うるうるきらきらの瞳は、驚いたようにまばたきした。

「比奈のこと? 比奈はね、もう先輩のだからね、別のにして!」
「…………」

 ――え? サンタさん? アハハ、尚人言い方かわいいね。でもうちはさ、サンタってパパとママなんでしょ〜って言った年から、現金になっちゃったからなあ。今年はポルジョのファンデ買おっかな〜。
 サンタさん。いい子。プレゼント。ぐるぐると、単語が頭の中でかけっこをする。
 比奈はいつだって、俺の欲しい言葉を、俺が想像している以上の力で打ち返してくる。
 あの頃どれだけねだっても手に入らなかったものを、こんなにも簡単にてのひらに握らせてくれる。
 それで、あの頃の俺が救われるわけではないけど。
 でも今の俺は。

「そうなの? じゃあ、俺のだったら食べていい?」

 まろやかなほっぺを甘噛みすると、くすぐったそうに身をよじり、俺の顔を小さなてのひらで軽く押し返す。

「いいけどぉ、残したらメッだよ」

 誰が余すか。
 くまごと比奈をもう一度掻き抱き、ベッドにダイブした。くまを下敷きにして俺とくまに挟まれている比奈は、危機感も何もなくのんきに笑っている。
 決して来ることのないサンタを待ちわびていたいい子になれなかったこどもは、もういない。


20201227
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