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 これがほんとの白衣の天使ってやつだよな、と若干どころかかなり捻じ曲がった解釈をしたあゆむが、無意識に一歩引いたわたしの腕をがっしり掴んだ。
 さきほどまでのしおらしい、それこそ一生のうちで何回見れるかというくらい貴重な、しおらしい態度はすっかり鳴りをひそめてしまっている。

「っと、忘れるとこだった……」
「え?」
「とりあえず消毒な」
「んっ」

 ぺろ、とわたしの唇をかすめたそれが、今度はあゆむの唇の上で獲物を前にした肉食獣のそれの動きを見せる。
はずみで覗いた尖った八重歯が、獰猛さを助長していた。
 そしてわたしは言わずもがな、蛇ににらまれた蛙状態なのである……。
 ……いや、怖くてすくみあがっているわけではないので、少し違うか。

「優しい先生は、今日だけ保健室を愛の巣にしてあげる」
「サンキュー……せんせーってほんと保健医向いてねぇよな」
「あら。先生、癒し系でしょ?」
「なのになんで結婚できねーんだろうな」
「真中君、口は災いの元よ」

 先生はウィンクを飛ばし(しかし、目は決して笑っていない)あゆむが持っていたゴムを素早く奪い返してわたしたちを保健室から追い出した。

「……」
「……」
「……ふふっ」
「きもい」
「えー」

 嘘、やっぱ可愛い。
 淡々と、なんでもないふうに殺し文句を吐く恋人は、やはりいつもの恋人だった。
 きっと、今日の放課後はめくるめく愛情の地獄なのだ。
 無言で先を歩くあゆむの、けれど手持ち無沙汰に空けてある右手を握る。きちんと握り返してくれる、ごつごつとしたてのひら。
 そういえば、化粧をまだ直していない。放課後までには、あゆむにもう一度可愛いと言ってもらえるように、直しておかなければ。目は、唇は、腫れてしまったけれど。
 ちなみに、後日談として付け加えておくと、あゆむと花田くんは仲良く停学処分を食らったし、花田くんは保健医にきつくお灸を据えられたらしい。(お灸がどんな内容だったのかは、こわくて聞けない)


200710XX

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