だから、きみはうつくしい

 こんばんは!
 まじでこいつずっと「どうしてきみはうつくしい」を書いているな…とお思いの皆さん。
 そうです。

 ものすごくしっくりきてしまい、このふたりがもっと見たい! になってしまい、気がついたら43万文字書いていましたね。
 43万!? うそだ、、書きすぎ…。

 以下、ゴリゴリのネタバレなのでご注意ください。






 本日、続編的立ち位置にある「だから、きみはうつくしい」が無事に完結しました。
 メインストリームはすべてすももちゃん目線で語られていたのが、ふたりの人生の大きな節目となる出来事を、朝海先輩目線で語ることになりました。
 ちなみにこれだけでも3万文字近くあります。

 わたしは、この物語と言うより主人公に対して、「人生が変わる女」と「人間が変わる男」の話だと思っていたので、今回かなりそのことが朝海先輩の目線で明文化されたかなと思ってます。

 円山朝海にとって愛や恋、結婚や家族はマストではなく、あくまでも自分を少し豊かにするものである、というスタンスには変わりありません。
 すももちゃんのように全身全霊で愛を叫んで、海を越えて追いかけたり、力いっぱいぶつかったりということは彼にはできません。
 あくまでもサッカーという彼を狂わせた奔流の、言い方は悪いがオマケです。

 だけど、すももちゃんと出会い恋をしなければきっと、そのオマケすら彼には必要なかった。
 相手がすももちゃんだから、全力でそうしてぶつかってきてくれたから、ああして心を開いて彼女がいないと歩き方も分からないようになってしまった。

 歩き方が分からなくなっても、彼には問題ないんです。サッカーができればいいからね。

 大切なものを増やしすぎると、朝海先輩は自分がサッカーに注力できなくなるのではないかと、たぶん怯えている。
 実際、産まれる! となったときに、試合前に陣痛が始まっていたことを知った瞬間、少し悩みましたよね。
 なぜ試合前に教えてくれなかったの、と。
 今までの自分であれば考えられない思考に、たぶん怯えた。

 自分の選択を決断をこうもたやすく捻じ曲げるすももちゃんのことを、愛していないと成り立たないですよ。

 朝海先輩が、産まれたばかりの子を抱いて泣いてしまった理由は語られないけれど、もしかしたら、大切なものが増えてしまったことに怯えていたのかも。
 怯えるほど、腕の中の命が「大切」だと理解している。



 円山朝海と出会っていなければ岩垂すももは、渡欧することもなく日本の企業に就職し、つつがなく人生を過ごしていた。
 岩垂すももと出会っていなければ円山朝海は、大切なものが増えることもなく人の顔がサッカーボールに見えていた。

 でもたぶん、すももちゃんと出会ってなかったら朝海先輩はいつか失言とかでアスリート人生終わったんじゃねーの? と思わないこともない。
 目の前の人を人だと認識しない(そう見える訓練を積んだ)という欠点は、実力社会と言えど著名人としては致命的かもしれない。

 朝海先輩は、すももちゃんと出会ってから、すべてサッカーにそそぎ込んだ五感が日常でも機能して日々が鮮やかに着色されることに驚いただろうなあ。




 彼らの大切な小さいの、藤とつつじですが、どちらも四月下旬ごろに開花を迎える花をつけます。
 つつじの名前をさくらと最後まで悩み、藤と季節が少しかぶらないことを理由につつじになりました。
 藤のスペイン語を調べていたら、マドリードにも藤が豊富に植わっているらしい、ということを知りました。ネットの情報なので実際は分かりませんが。
 名付けの理由は「日本にしばらく帰る予定はないけど、自分たちの生まれた時期に日本で咲く馴染み深い花の名前を、いつか物心がついてから調べて思いを馳せてほしいね」となったみたいです。(みたいです?)

 ちなみに、花の名前をつけると短命になる、という迷信がありますが、そんなことをパパに冗談のつもりでも言ってしまった日には、「統計はあるの?そんなふうに言うなら当然根拠があるんだよな?俺たちが心を込めてつけた名前にケチをつけるんだからそれ相応の覚悟があるよな?言葉には責任を持てよ。おい逃げるな」と2Mの巨体で詰め寄ってきます。

 シンプルに2Mのアスリート怖い。



 そろそろ新作も書きたいな、と思いつつ、大切が増えちゃったふたりの話をまだまだわたしが見たいな、という気持ちもありつつ。
 好きなものを好きなように書きます。


 2024.08.04