龍の言う「二人の時間」というものを全くとっていなかったか。と言えば、答えはNoだ。

 それはいつだって小さな機械越しで行われていた。ライブの後、撮影の後、声が聞きたくなったから、寒くなってきたから、今日は星が綺麗だったから。
 かける理由なんてのはもはやなんだって良くて、多分それは彼女も同じだった。たまにどうしても顔が見たくなったらビデオ通話に切りかえて、そうすると慌てて前髪を直すキミが映るのがたまらなく好きだった。お風呂上がりの、いつもと違う少し油断した姿が可愛くて、ああ触りたいな。なんて思う。
 その時の欲求は、単純な性欲とは全然違う。ただ無遠慮に柔らかい肌に触れたり、髪のにおいを嗅いだり。やめてよ、なんて嫌がるものならキスでふさいで抱きしめて。腕の中でふわふわと笑うだろうキミを、そのまま離したくない。
 綺麗にラッピングされた包装を解いてみれば、ボクという人は本当に年相応の普通の男なんだってことを、ボク自身が実感する瞬間だった。だけど同時に、その綺麗な包装紙がボクを普通じゃ居られなくさせる。
 食べてみたいご飯の話、行ってみたい場所の話、そんな些細な会話に「今度行ってみようか」の一言だって言えやしない。寒いねと呟くように言うキミを、そばで抱きしめることも出来ない。
 それがどれだけ情けないか、一生、気が付かないで欲しかった。
 

 初めて腕の中に収めた彼女は想像していたよりも全体的に小さくて、いつもふわりと香らせていた彼女自身の香りが鼻のすぐ傍ですることに、ほんの少しだけ気持ちを乱される。
 抱きつかれると言うよりも、傍に寄られただけという方が正しくて、ボクの方から彼女を緩く抱きしめた。
「…天、ごめん……」
「キミも、なにのこのこ着いてきてるの」
「…初めは、今日のライブの後の打ち上げにスタッフとして参加しなさいって、姉鷺さんに言われただけで」
「うん」
「終わるまで、この部屋で待つようにって…」
「それで?」
「そこまでは、前にも似たようなことがあったから。ホテルなんだとは思ったけど、こそまで深く考えてなくて。でも…」
 言葉を選ぶように何やら逡巡したあと、彼女の手がボクの服をキュッと掴んだ。急かさずに待ってあげれば、意を決したように顔が上げられる。
「部屋について姉鷺さんに連絡したら、暗くなっても電気をつけたら駄目だって言われて、それでやっと…姉鷺さんの言ってることが分かって…このままでいいのかって、最近よく聞かれたから」
「うん」
「帰ればよかったのに、曖昧に頷いちゃった。実際、少し…悩んだこともあったから」
「…うん」
「だけど、ごめんなさい迷惑掛けて。本当に姉鷺さんは悪くないから、責めないであげて、私が勝手に残ったの」
「…別に迷惑だなんて思ってない。ただ気に入らないだけ」
 カードキーは握りしめたままで、部屋の中はまだ彼女が居たままの真っ暗闇だった。けれど最後の方はこの暗闇の中でも分かるくらいに瞳がきらきらとしはじめていたから、ボクは諭すように落ち着いた声を出すのをやめた。気が抜けた会話でもする時みたいにちょっと投げやりな話し方で、わざと空気を紛らわせる。
「こういうことが全てじゃないと思ってるけど。キミが不安にならないわけが無いってことも分かってて、それでもキミに甘えてたのはボクだよ」
「そんな、」
「じゃあいつになったらするんだって具体的な想像も出来ないくせに、一から十までお膳立てされてするのは格好つかなくて、気に入らないから拗ねてるだけ」
「………」
「ボクだってずっと、キミに触りたくてしょうがなかったのに」
「天…っ」
 耐えきれずに彼女の手が伸びてきて、それからまるでボクへの触れ方が分からないと言うように空を彷徨った。その手のひらをとって、握り込む。
「どういう意味かは分かっててここにいるんだよね?」
「…うん」
「まだキスだって一回しかしてない男に抱かれていいの?」
「いいに、決まってる…!」
「ふふ。泣いてたらしてあげない」
「…ん、」
「こんな真っ暗な中一人で、不安だったね。ごめん」
「そんなの、今までに比べたら一瞬だったよ」
「…うん。待たせてごめんね」
 今度は、今まで何度もそうしてきたみたいに彼女の腕がごく自然とボクの首に回る。ボクの腕も、そうするのが当たり前みたいに彼女の体に絡んで、少し長く、押し付けるだけのキスをした。起き抜けで覚束無い時のように、少し惚けた彼女はそのままふわりと破顔してみせる。
「…二回目、だね」
「覚えてる?」
「忘れられないよ、夢かと思うほど嬉しかったのに」
「…うん、でもここから先は、初めて?」
「うん」
 火照った頬を撫でてやれば、気持ちよさそうに擦り寄られる。何をどうしてあげたらいいのかは、不思議と分かって。体が勝手に動くようだった。
 瞼を伏せて、少し顔を近付ければ慌てて目を閉じて顎を少し上げてくれる。この子、思ったよりも順応が早い。こんなに長く付き合っていたって、ボクの甘い所を彼女は知らないと楽は言うけれど、彼女のそんな所をボクもまた知らないままだった。
「…口開けて。べろも」
「…っん、」
「っ…そう、上手」
 親指で耳を撫でれば、ふるりと震えて。
 甘く舌を絡めれば、熱い吐息と、聞いたこともない声が飛び出す。
 困ったな。ほんの五分前まで、まどなりに楽が居るって分かってて、何をどうしろと言うのと思っていたのに。
「もっと、」
「え…」
「もっとしたい」
「…っ」
「ダメ?」
 全然足りなくて、困る。


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