「…どういうことですか」
「…この間話した通りよ」
「姉鷺さん、やっていい事と、良くないことがありますよね」
ライブ終わりの少し落ち着かない車内、三者三様にほくほくとした身体を持て余しているその時に。ホテルの部屋割りとルームキーを手渡されながら、まるでなんでもない事のように「部屋で彼女が待ってるわ」と言われた時の、ボクの気持ちを少しは考えてみてほしい。この期に及んでそれが笑えない冗談ではないことは、全てを知っていたであろう楽と龍の顔からしてすぐに察することは出来た。
「天!あ、あのさ、普通に少し二人でゆっくり話でもしてきたら?別に強制じゃないしさ、」
「この状況で手も出されないって、女からしたら相当傷つくだろ」
「楽…!」
「キミたちは、ボクにどうして欲しいの。スキャンダルでも起こして潰れたらいいって思ってるの?」
「スキャンダルになんてさせるわけ無いでしょ。彼女がホテルに着いたのは今日の昼前で、それからカーテンも開けずに、電気も付けないように言ってあるわ」
「……は?」
待って、今が何時だと思ってるの。それじゃあ何。彼女はずっと暗い部屋で一人、来るかも分からないボクのことを待ち続けてるってこと。
そんなことを聞かされては、いつまでも行かないと言い続ける訳にもいかなかった。
「天、何かあれば俺、楽の部屋で寝るからさ、部屋使いたければ連絡して」
「……いい人は龍だけだね」
「何逃げ道寄越してんだ、龍」
体をしっかりこちらに向けて、気遣うような顔を見せた龍の肩を楽が後ろから引いた。急に近づいてきた圧のある顔面は少しうるさくて、状況も相まって酷く腹が立つ。
「好きな女一人幸せに出来ない男のままでいいのかよ、天」
「……は?もう一度言ってみなよ、楽」
「二人ともやめろって…!」
ホテルマンが駐車場に車を入れるために側で待機していた。ターンテーブルにロケ車を乗せたまま、なかなか出てこないボクらに痺れを切らしてこちらに近寄ってくるのも見えている。
仕方なく取り繕って、車から出てエレベーターに乗っても、龍の胃を痛めそうな空気はなかなか消えてはくれなかった。
広めのゴンドラはボクたち四人を乗せて目的階までゆっくりと加速した。面白いくらいに四隅を陣取るボクたちはまるでオセロみたいだけれど、きっと戦況は最悪。ボクだけが白であとは黒みたい。そんなことを、ゴゥンと頭の上で鳴る機械音を遠くに聞きながら思った。
「……天」
「……」
「天、ごめんなさいね。アタシらしくないとは思うわ。でもこれだけは覚えておいて。アイドルは、ファンの夢であって、希望なの。プライベートやスキャンダルを見せて、失望させるようなら、本物とは言えない。…だけど一番大切だと思った子に、アナタのエゴを押し付けて傷付けるようなら、アタシはあなたという人間に失望するわ」
それだけ言って、姉鷺さんがボク達の一つ下の階で降りた。
その後の沈黙を破ったのは意外にも龍だった。いつもは場を包み込むような龍の声が、どこか自信なさそうにぽつりと落とされる。
「…天、俺はさ。天と彼女が二人で会ったことがないって、最近初めて知ったんだ」
「……」
「楽は何となくそうじゃないかと思ってたって。俺は二人の時間は別で取ってるのかと思ってたんだよ。だからそれを聞いた時は少し、…悲しかったな。俺達はそんなに信用されてないのかなって。たしかに不安材料はないに越したことは無くても、万が一、何かが起きた時に、TRIGGERごと駄目になると思われてるみたいだ」
「…龍」
「ごめん。天がそんなつもりじゃないのは分かってる。でも俺達は一緒に潰れたりしない。そうだろ? どんな逆境だって三人揃っていたから、パフォーマンスで這い上がって来れたんだ」
「お前ならいくらでも上手くやれるだろ。今までだって女がいることなんかおくびにも出さずにやってきてるじゃねえか。お前の彼女は七瀬じゃねえんだ。お前のやってる事が、相手を守るための厳しさで、それがお前の甘さだって分かるほど、お前の彼女はお前を知らねえだろ」
「…気付いて、察してくれてるよ」
「それなら尚更だ。お前に守られてると思う度にお前の彼女は傷ついてる。俺はそうだった」
「楽」
「単独犯でいようとするな。もう止まれないなら、共犯になった方がマシだ」
「俺達もいるしね」
「特攻隊長は俺がやる。主将はお前だ、天」
「じゃあ俺はしんがりをやるよ」
「…っばかじゃない。負け戦になんてさせない」
とっくに目的階についていたエレベーターの開ボタンを、龍がずっと強く押し続けていた。それでも閉まらないようにと、楽の左手はずっと扉にかかったままで。
ああもう、そういうの、そういう不器用な優しさが、たまらなくなる。守られているだけのセンターになんてなりたくないのに、甘えてみることが心地いいかもしれない、なんて。
上がりかけた口角を隠すように少し俯いて、早く出ろと楽の背中を押す。その背中と、後ろを護る龍に続けた。
「だいたいキミたちはやることが急。そういう話なら強行突破する前にもっと回りくどく言いなよ」
「うるせえな。言ったって聞かねえからこうなったんだろ」
「二人とも、せっかく仲直りしたんだから…」
泣き笑いみたいな声を出す龍が可愛そうになって、口を噤んだそのとき。
「ま、頑張れ」
そう言って楽がボクのポケットに手を突っ込んだ。それを見定める前に、龍の手がすっと背に当てられる。
「天。なにかしろってわけじゃないけど、ゆっくり話せるいい機会だと思って、ね」
「……お節介」
「今更だろ」
「そうだよ」
レッドカーペットみたいに長く続く廊下を進んで、一人ずつ部屋に入った。手前から、龍、楽、ボク。まどなりに楽がいるって分かってて、何をどうしろと言うのと思わないでもない。だけど部屋のドアを開けて、俯いていた彼女の瞳が暗闇の中でボクを捉えた時、どうにかしてあげなきゃという気持ちが色々なものを飛び越えた。
駆け寄っていいものか分からず、ただ立ち上がってボクを見つめる彼女を見て、後ろ手で扉を閉める。小さくため息をついてから、両手を広げてやればゆっくりと近づいてきた。
「……天」
「うん」
信じられないと思うけど、これがボク達の初めての抱擁だった。