Boy's talk!








「すみません。遅くなりました」
「時間通りだよ。お疲れ様」

 扉を開けた彼に目の前の席を促せば、着ていたコートを脱ぐために少し顔がうつむき影になる。見慣れた顔ではありながら、何度見ても素直に綺麗だなと思う。
 和泉一織。うちのグループにはちょっと居ない、絵に描いたような美青年。楽と龍と比べたら、もしかするとボクが一番彼に近いのかもしれないけれど、少し違う。ボクよりも分かりやすく男性らしさを感じる部分があるくせに、綺麗で、綺麗だからこそ、その中に居る生意気な彼の可愛らしさが憎めない。ポーカーフェイスだなんだと言う割に、うちの弟に弱いところなんて、見ていて可愛いと思うファンの気持ちは分かるものだった。
「…何飲む?」
「すみません、ハイボールで」
「角とデュワーズと山崎」
「ああ… 九条さん、ご飯食べます?」
「まだだから、食べようかな」
「では山崎で」
 QRコードを読み取りながら軽く頷いて、手元のスマホで注文を入れる。馴れた様子でウィスキーの種類を選ぶ彼を、ほんの少し羨ましく思った。歳はボクの方が少し上なのに、彼の方が飲めるんだよね。
 飲み物と一緒に彼の好きそうなおつまみを数種類頼んで、ボクはスマホを机に置き直した。
「それで、なんだっけ?」
「深く考えたら負けですよ。とりあえず飲まないと始まらないです」
「そうだった」


 都内某所。個室の居酒屋に集まったのは、もうデビューして久しいアイドリッシュセブンの和泉一織と、TRIGGERの九条天。芸能人もよく使うこの店は、秘密の会話をしたい時にはうってつけの場所だった。
 今のボクが抱えている秘密の多さを、数年前のボクはきっと信じてはくれないだろうな。誰か一人の女の子を好きになって、そういう関係になるだなんて、そんなこと、有り得ないと思ってたし。デビューしたての十八歳なら、そうして当たり前だったと今でも思う。だけどアイドルとしての生活も十年を超えて、三十歳まで目前に見えてきた今、微塵も恋愛経験がない男ってさすがにどうなの。ボクならちょっと引く。
 きっとそれぞれに思うところや紆余曲折はありながら、大切な人を増やしていくメンバーや先輩、後輩グループの中。どうしてだかこういうところでは話が合う男と、こうしてたまに飲むようになっている訳だけど、数年前のボクはもしかするとそっちの方が驚くかも。だって、楽と龍の恋バナってちょっと恥ずかしくって聞いてられないんだもん。

「はい。じゃあ、お疲れ様」
「お疲れ様です」
 形式的に寄せあったグラスを煽って、届いたお通しに手をつける。だけど、どちらかが酔い出すのなんて待っていられない。最近出たばかりのシングルの話、お互いが出演していた映画やドラマの話、そんな話は今日のボク達にとって前座に過ぎない。もちろん、ひとつひとつの感想は本気でそう思っている事だし、彼から述べられる言葉は貴重な意見として受け取りながら。だけど、ボク達の時間は有限だ。
「そろそろいいんじゃない。キミから話しなよ」
「……」
「言いたくて仕方ないやつ、あるんでしょう?」
 ここまでやって来てもなお言い淀む彼が可笑しくて緩んだ頬は、瞳で補うことで妖艶な笑みに変わる。和泉一織はそんなボクを見て少し嫌そうな顔をした。
「飛ばしますね。そういう九条さんこそ、惚気けたくて仕方ないんじゃないんです。お先にどうぞ?」
「そうだね。沢山あって、纏まってない。キミの話を聞きながら纏めるよ」
 パチッと静電気が走ったような空気はいつものこと。認めたくないけれど、こんなところがボク達は少し似ている。そして大概こんなとき、諦めて口を割るのが和泉一織だということもお互いとっくに分かっていた。
「……分かりましたよ」
 たった今置いたばかりのグラスにもう一度口をつけて、和泉一織は長いため息をついた。
「…最近は、タイミングが合って比較的頻繁に会ってるんですけど」
「どのくらい?」
「週、一とか」
「多いね」
「普段と比べれば。まあ、それが嬉しいらしく、なんというかその…」
「ふふ。何?」
「…面白がってますよね」
「うん。そのために来てるから」
 そんなに飲んで大丈夫なの? なんて言葉は、彼には必要が無いらしい。ボクのグラスの残りをちらと確認すると、二杯目は自分でQRコードを読み取りながら難しい顔をして見せた。

「…彼女も、今の頻度がずっと続く訳じゃないことは分かってると思うんです。だからこそ、今が嬉しくてしょうがない、というか」
「うん」
「ほぼ、コバンザメです」
「っふふ」
 その様子が容易に想像出来てしまったボクは、馬鹿にするでもなく自然と吹き出して笑った。
「比喩じゃないですよ。四六時中引っ付いて、キッチンに立てば横でつまみ食いが始まるんですから、本質的に間違ってないです」
「危ないから待っててって、言えばいいんじゃない?」
「……」
 ゆっくりと目線を流す和泉一織を見て、今度は本当に可笑しくなってしまった。でも、気持ちは分かる。
「寂しそうにされると、可愛くて断れないんだ?」
「……たまのことなので、まあ少しくらいは」
「いいんじゃない? 幸せそうで、可愛いと思うよ。ていうかキミも、オフの度に会うくらいは好きなんだから、それくらいは仕方ないでしょ」
 そう言うと、和泉一織は手のひらで顔を覆って静かに何かを耐えていた。けれどさっき注文した彼の二杯目が運ばれてくれば、その顔は普段通りの澄まし顔に戻る。店員さんが個室から出ていくのを横目で見送って、その目でボクを見た。
「…あなただって同じでしょう。未だにテレビの中のあなたを見ていると、信じられませんよ。あんなに完璧に隠してまで関係を続けたいと思うような相手が、あなたに居ることが」
「そんなの、みんな同じでしょう。キミだってそうだよ」
「…どうぞ、九条さんの番ですけど」
「そうだな…」

 今更お分かりかもしれないけれど、ここでボク達が人目を忍んでわざわざ話しているのは、世間一般で言う惚気話の類でしかない。
 和泉一織は、アイドリッシュセブンの中ではとてもじゃないけどこんな話は出来ないと言う。実の兄や、年の離れたメンバーからの生暖かい目線。高校からの同級生。そして自分よりずっと抜けているくせにここぞと言う時に年上ぶってくる仕方の無い人。
 そんな彼らにとって「一織の彼女の話」というのは聞きたくてしょうがない話だと思うけれど、そんな中では話したくない彼の気持ちも理解出来る。

 ボクだってそうだ。初めに報告した時は「あの天が」と言わんばかりの輝いた目でボクを見る大男達に、根掘り葉掘り馴れ初めから聞かれて、だけど答えない訳にもいかないからなんとか返答した。楽と龍は、大事な人の話をまるで心温まる家族のエピソードみたいになんの躊躇いもなく話すけれど、ボクはなかなかそうもいかない。
 「最近どうだ?」と楽に聞かれると、口が勝手に「別に…」と思春期の中学生みたいな返しをする。相手が龍なら「仲良くしてるよ」くらいは言えるけど、エピソードトークなんて出来そうにない。

 例えば、和泉三月や逢坂壮五。ボクで言うなら楽と龍。そんな彼らが大事な人に対して「可愛い」と思う瞬間と、ボクと和泉一織がそう思う瞬間は少し違う。
 ボク達はいつまで経ってもほんの少し、好きな子に対して小学生の男の子みたいな一面がある。
 大切にしたい、守ってあげたい。優しく触れて、可愛がりたい。そう思うのに、眉を下げて見上げられればもっと困らせたくなる。何か失敗して落ち込んでいれば、励ます前に一言叱咤したくなる。そんなお互いの内に潜むものが似ていることに気がついてから、心の中でこっそりと同盟が組まれるのは早かった。

「…ボク達は、そんなに頻繁に会える訳じゃなくて」
「変わらずですか?」
「今は月二…多くて三とか」
「最近、ドラマ出ずっぱりでしたしね」
「ありがたいけどね」
 言いながら、ボクはまだ一杯目のウーロンハイに口を付けた。
「彼女は我儘も言わないし、ほんと、いい子なんだけど。多分色々言えないことも多いと思うんだよね、ボクに」
「まあ、そうでしょうね」
「だからたまに叱ってあげるかな。言わないと分からないよって。そうすると、私だって言いたくないから言わないんじゃないのに、天の馬鹿…ってなるでしょ」
「ああ…」
「可愛いよね」
「始まりましたね」
 和泉一織が居住まいを正したのを見て、ボクも同じことを思う。
「九条さんの彼女になる方となるとやっぱり人が出来ていますよね。こちらは我儘で敵いません」
「叱らないの?」
「叱りますよ。いくつか溜めて、必要以上に叱るんです。そうすると、私だって悪かったけどそんなに言うこと無いじゃん…な顔になるじゃないですか。可愛いです」
「可愛いね」
「分かります?」
「分かるよ」

 これが分かり合えるのが少なくとも身近にキミしかいないから、こうしてたまにその辺の大学生みたいにくだらない話をするのが楽しい。出来れば、彼もそう思ってくれていたらいいなと思うくらいには。
 本人のいない所で、素直じゃないとはいえ「可愛い」を口に出せるようになった目の前の彼に成長のようなものを感じながら、冷めかけていただし巻き玉子を一欠片つまむ。ふわふわのそれを咀嚼して、思い出した単語を口にした。
「キュートアグレッションって知ってる?」
「可愛いものに対して、攻撃的に愛情表現してしまうアレですか」
「自己紹介みたいだね」
「あなたにもその気がありますけど?」
 その言い方に、声を上げて笑った。彼のこういうところは、別に嫌いじゃない。ボクがこんなふうに笑うと、和泉一織は一瞬呆気に取られたような顔をして、それから一緒になって少しだけ笑う。
「今日、九条さんに会うことを彼女に言ったら嫌がられましたよ」
「え。ボク、嫌われてる?」
「二人して私の悪口言うんでしょ、って」
「聞かせてあげたいけど。キミ、惚気けてしかないのに」
「そのままお返ししますよ」
 そう言われて、昨日の夜を思い出す。別にチャットでも良い内容を伝えるため、わざわざ彼女へ電話をした。
「ボクはちゃんと彼女に言ってあるから」
「何をです?」
「キミの可愛いところ、和泉一織に惚気けてくるねって」
「うわ…」 
「照れたり困ったり喜んだり忙しそうだったな。おすすめだよ」
「私には出来ないタイプの可愛がり方ですよ。そんなの、あなたの専売特許でしょ」
 そうかな。別にそんなことは無いと思うけど。でもまあ、意味合いは変わるよね。それを言うのが陸だったら、ほんとにただ惚気けて帰ってくるだけで他意は無いだろうし。わざわざ言わなそうなボクが言うから、彼女だってあんな反応になる。
 会いたいな、と思った。出来ることならこの後すぐに。そうしたら、少し酔ったフリでもして甘えてみせることだってできるのに。
 「キミの話をしてたら会いたくなっちゃった」なんて言ったらきっと、酔っぱらいの戯言なのか本心なのか分からないまま真っ赤になってくれるんだろう。

「何か飲まれます?」
 空になったボクのグラスを見て和泉一織が聞いた。
「キミがまだ飲むなら。時間大丈夫?」
「まだ平気ですよ。彼女はもう家に着いてるみたいですけど」
「今日会うの? 帰ってあげなくて平気?」
「大丈夫です。こういう日は少し待たせた方が… ね?」

 なんてことなさそうに大丈夫と言ったかと思えば、口端を上げて笑った彼を見て、少し申し訳なさを感じたボクが馬鹿みたいだと思った。
「…なるほどね。キミってほんと…」
「何です?」
「ううん。じゃあ、キミの彼女がいい感じに焦れてくれるくらいの時間で帰ろうか」
「はあ…」
「いいな、ボクも早く会いたい」
 なかなか口に出すことは無い本音を零すと、和泉一織は意外な顔をすることも無く、小さく息をついて仕方の無い人と言いたげにボクを見た。
「…言ってあげたらいいんじゃないですか」
「彼女だって我慢してるのに言えないでしょ」
「それとこれとは別でしょう。言ってもらったら嬉しいものじゃないんですか」
「まあ」
 言ったら、喜んでくれるのは分かってる。寂しさに耐えかねて離れていかれたら堪らない。だからなるべく電話をかけるし、チャットだって暇があれば、ボクは意外と返す方だと思う。
「…でもさ」
「はい」
「会えないの続いた時に、次お休みいつ? って申し訳なさそうに聞いてくるの…」
「それは可愛い」
「だよね」
 アルコールで少し緩み出した口は、くだらないことで笑うし、いつもは言わないことも言うものだ。お酒の席は無礼講。何を聞いても、明日からの仕事には持ち込まない。
 そういう線引きをきちんとしながら、本当は可愛がりたいと思ってる子の困った顔が好きという仕方の無い癖を共有する。心の底では別にお互いの性癖なんて知りたくもないと思いながら、だけど不思議と楽しいんだからしょうがない。何か思い出すものがあったのか、優しい顔で笑っている目の前の人を見る。
 もしも普通にサラリーマンをしていたとしても、キミとは気があったんじゃないかな。明日になったらそんなこと、絶対思わないけど。多分友達ってこういうものなんだろうなと、ボクはふんわりとしてきた頭の中で思った。





 
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