二回目はフィードバックのあとで
オレがちらりと時計を見て、そわそわとすること数分。
「はるちゃん、もう遅いし泊まってもらったら?」
そんな鶴の一声は、意味を知ってか知らずかばあちゃんからかかった。
「いえいえ、遅いですし、ご迷惑なので…」
「遅いから、泊まれって言ってんの。気にしなくていいよ」
ここにお客さん用のお布団があったのよ、と腰を上げる婆ちゃんを制して、襖を開けて布団一式を持ち上げた。
「…どこで寝る?」
「え、っ!」
「ここでいい?」
「うん!」
「駄目よはるちゃん。居間は風がよく抜けて明け方とっても寒くなるから、お部屋に案内しなさい」
「…ばあちゃんね、」
「い、いいよ悠。おばあちゃん、ありがとう」
「あったかくして寝てね」
ばあちゃんはそう言っておやすみなさいと自室に戻ってしまった。学生とは言っても20歳を超えた年齢でまだ実家で祖母と二人暮らし。彼女からしたら思うところもあるだろうとは思う。それでもいつも嫌な顔ひとつせず、おばあちゃん1人にしたら心配だもんねと言って、仲良く他愛の無い話をしてくれるこいつには感謝だってしてる。
いつも2人でなんの話しをしているのか分からなくてつまらないこともあるけど、初めのうちは孫が増えたみたいなんて言ってたばあちゃんも、最近は女子会だなんだと言ってあいつと一緒になってきゃっきゃと笑う。話に入れて貰えないのも、今となっては微笑ましくて素直に可愛いと思う。
だけど、オレたち別に結婚して30年の夫婦じゃないからね。
こんな旦那の母親の面倒見させてるみたいな状態、いつまでも続けていいと思ってるわけじゃない。だから、どっか行きたいところある?とか、したいことある?とか、オレわりと聞くようにしてるんだけど、ここ最近になってからは忙しいんだから無理しないで、平気だよと躱される。
初めのうちは、あ、そう。なんて思ってたけどいい加減にオレも察した。2人になるの避けてんだなーと。
避けられているとしたら、考えたくなかったことだけど理由に心当たりはあって。
理由が理由だけに、なんで?って考えるのは結構しんどくて、それならあいつが何か言ってくるまで無理強いしない方がいいかな、なんて思ってたんだけど、そこへ来てばあちゃんの一声だ。
「…とりあえずオレの部屋、2階」
「あ、うん、…あ、枕持つよ」
「ん。」
2階に上がる2人分の足音と、軋む階段の音がもう気まずい。
彼女が部屋に泊まるとか普通はラッキーイベントなんじゃないの。
……いやオレは嬉しいけどさ。後ろのこいつが死にそうな顔してるから、気になるでしょ。
「ごめん、狭くて。好きに座って。」
持ってきた布団は掛け布団も合わせて三つ折になっていて、開いてシーツを被せれば直ぐに寝られる状態になった。居心地が悪そうにその上に座る様子にまるで気が付いていないような馬鹿みたいなフリをして、その横に座って無理矢理に目を合わせる。
「っ、なに」
「何はこっちの台詞。こないだの旅行からおまえ、変。」
「…そこまで分かってたら聞かないでよ…」
「…何。下手だったとか?」
「っえ、全然…!全然って言うのもあれだけど、っ」
「じゃあなんでオレのこと避けんの、」
記念日とか誕生日とか、そういうの忙しくてやれてないし、どっか行きたいところある?
そう聞いたら、どこか泊まりで出かけたいって言うから。
巳波におすすめされた隠れ家っぽい温泉に連れて行って、その夜、そういう雰囲気になって、初めてってやつをした。
別に嫌がる素振りも無かったし、最後は壊れたおもちゃみたいに好き好き言ってたくせに、終わって寝て起きて、そしたら急に余所余所しくなった。そしたらもう原因なんてそこしかないでしょ、さすがに気付くって。
でも理由までは分かんなかった。
「言わせないで気付けよって話かも知んないけど、ごめん。わかんない、なんかあるなら教えて」
「ないって、ほんと、避けても、ない」
「避けてるじゃん。目見ないし」
「それは…だからっ」
「何?」
別に怒ってるわけじゃない。だけど聞くまで逃がす気もないから、食い気味で先を急かす。そんなオレの様子にしばらくの間言い淀んで、観念したのかゆっくりと唇が動いた。
「違うの、私からしたら悠って…可愛くてかっこいい、だったのに、あれから何しててもかっこよく見えて、…2人でずっといると色々と思い出しちゃうし、なんかもうだめなの…」
「は…?」
「好きすぎて、……直視できない………」
「はあぁあ?」
背筋を伸ばして行儀よく座っていた体勢はどんどん小さく丸くなって、そのまま真っ赤な顔は両手で隠される。
それも今は都合がよかった。言われた内容を理解した途端耳まで熱くて、同じくらい赤くなってるのが分かった。
「そんな理由」
「すみませんほんとに…」
「はあ…なんか嫌だったわけじゃないならもういいや、あーびっくりした。」
「ご、ごめん」
「早く寝なよ、明日も早いんでしょ」
ベッドの横に平行に敷かれた布団から立ち上がって自分の寝床に入り込む。ごめん…と小さく繰り返すのには敢えて返さなかった。もうそのまま悶えてたらいいよ。あーびっくりした。電気消すよと声をかけて、薄暗いオレンジ色の豆電球に変える。ゴソゴソと2人分の衣擦れの音が聞こえて、やがて静かになった部屋はさっきとは違う意味で居心地が悪かった。
お互いに起きてるのに、暗い部屋の中で何も話してないのが不自然で、寝るとは言ったものの目は冴えて仕方ないし、目を閉じると名前が小さく動く音が聞こえてくるから諦めて横を向いて、ベッドの下でどうにか寝ようと試みている姿を眺める。薄暗いオレンジ色の中でも目が慣れれば表情までほとんど見えるもんだな、なんて思いながら。
「……」
「……悠なんかすごい見てない?何…?」
「んーん、」
オレがこんなに見えてるんだから、向こうも同じだろう。
こんなに近くにいたらそりゃ、視線も感じる。おずおずと目線を上げて、鼻の上まで布団を引っ張る様子は普通に可愛かった。柄にもなく最近ずっと不安だったし、避けられてる理由がくだらなくて安心したのもあって、もう少し話してたいような気がする。
思い出して照れてるなんて可愛いだけじゃん、そんな理由なら、もっとオレに慣れてもらえばいいだけだし。
「ねえ」
「…なに?」
「…こっち来る?」
「…………ん」
「あ、来るんだ」
そうは言っても照れて来ないか、揶揄うなって怒るかなと思ってたけど、少し驚いて目線を彷徨わせた後、案外すぐに立ち上がってこちらに来たからちょっと笑った。自分だって寂しかったやつじゃん。じゃあ避けんなよ。だけどそれはもう突っ込まずに、素直にこちらに来たから良しとする。掛け布団を捲ってやれば俺の腕を引っ張って、当たり前のように腕枕にされた。
「満足?」
「……ん、悠避けてごめん、」
「いーよもう」
「せっかく布団持ってきたのに、無駄になっちゃった」
「ほんとだよ」
「悠が呼んだくせに」
息がかかるくらいの至近距離で笑い合う。こんなに近いのはあの日の夜ぶり。何度でも言うけどここ最近のオレは名前になんで避けられてるのかほんとにわかんなくて、これでもかなり悩んでたわけ。
だからすっぽり腕の中に収まって幸せそうに笑われたら、ほっぺたくらい撫でたくなる。
指の背で動物を撫でるみたいに触ったら、睫毛を震わせて目を逸らした。
それに一瞬寂しくなって、ふにふにと唇を押して遊べばゆっくり瞳がオレを映して、困ったように眉が下がる。ダメだとかやめてだとか、そういう言葉が出てきそうな気がしたからキスをした。
簡単に離れられないように抱きしめて、だけど夢中になり過ぎないように気をつけた。こんな所で盛るわけにいかない
。でもオレまだ20歳だから、だんだん我慢も出来なくなるわけで。そろそろやばいなと思って唇を解放してやる。
「っ、は…」
オレの熱っぽい視線に気がついたのか、肩が震えたのを見逃さなかった。
「安心してよ。何もしないから」
「…っ」
「…なに」
「や、やだ」
「………」
「なにかして」
「…ねー、おまえさあ、」
ちょっとほんとに、馬鹿なのかな。オレだって、知ってしまった柔らかい肌の感触とか、あの日の上擦った甘い声とか…まあ、その他もろもろを思い出さないよう必死でいるのに、おまえ急に吹っ切れすぎなんだよ。
しかもこの、ほんとに何も出来ない時と場所で。
多分何してもオレがめちゃくちゃ我慢する羽目になることは分かってるし、正直煽られて相当ぐらついた理性だったけど、オレを見つめてくる顔の奥には見慣れた自分の部屋の景色が広がっていて、ここは実家だと思い直した。
キスで充てられたのか、縋るようにオレのTシャツを掴んでいる姿を見つめて、たった今立て直したオレの理性はジェンガみたいにぐらぐらしてるけど、手は出さない。
そうやってもどかしくて、焦れて、困ればいいよ。
それくらいの仕返しはする権利あるでしょ、
「はるか、?」
「だめ。何もしない」
「……」
「ばーちゃんに聞かれたいわけ?」
「ち、がうけどっ、じゃあ」
「何」
「じゃあ、離して…」
キスした時に抱きしめたままの体勢で、心底もどかしいみたいな顔した自分の名前が、何もしないなら離してって
いや離すわけ無くない?馬鹿でしょ。
「あーもう」
「っ」
「これで最後ね」
最後ね、と。自分に言い聞かせるようにそう言ってもう一度だけ唇を重ねる。そんなに幸せそうな顔するなよ、と思うと同時に、そんな顔を見て1番嬉しく思っているのはオレだった。オレはオレのためにも、キスが深くなるにつれて動きそうな手を制しているので精一杯だっていうのに、さっきまでぎゅっと胸元を掴んでいた小さな手がオレの頬を包んできたりするから、必死になってばあちゃんの顔を思い浮かべてるとか、聞いたらまた笑うんだろーな。
くそこいつ、絶対今度泣かせてやる。唇を離してまた幸せそうに笑ったこいつに一応は微笑み返して、まじで明日の朝覚えておけよと笑顔の裏でじっとりと欲が渦巻いていた。
*
「んん。…あ、れ…?」
「…おはよ」
「あ…はる、か…」
あの後、満足したのか腕の中ですやすや寝始めたこいつにはなかなか腹が立った。何かしてって言ったじゃん、キスで満足なわけ?何もしないって言ったのはオレだけどさあ とか思いながらオレも寝て、朝。
ばあちゃんは早朝から町内会のなんかで居ない。
「…よく寝た…あ、一限休講になってる」
「まじ?」
「うん、二限ないから、三限からだぁ」
悠もだよね 少しゆっくりできるね、って、ゆっくりなんかさせる気ないけど。
起きたてのふわふわした感じでちょっとケータイをいじってていた隣から、カチャと画面が閉じた音が聞こえたと同時に腕を引いた。
「っん、!?」
「はい捕獲ー」
「捕獲?!」
「何かしてって言ったじゃん」
「それは昨日の夜の話で…っ!」
はいはい。昨日と同じように唇はすぐに塞いで、抵抗できないように足を絡めた。するりと薄い腹に手を伸ばせば何をされるかなんて言われなくてもわかるでしょ。
3限まであと5時間、たっぷり何かしてやるよ。