遠くから聞こえてくる笑い声に、日中の騒動が嘘のように思えてくる。
仲間達の談笑を耳に入れながら結城は一人、道場で竹刀を振るっていた。重くなった腕をより一層素早く動かし、風を切る。こめかみから流れる汗に結城は息を吐くと構えを解き、今日はこのへんで終えようと袖で汗を拭った。


「結城?」


呼ばれて目を向けると出入り口に九兵衛の姿があった。彼は少し視線をさ迷わせた後、道場へ足を踏み入れる。


「今日はもう休め。……それから、」

「若様、お願いがあります」


伏せていた右目が結城を捉える。それに結城は笑って返すと竹刀を一本持ち出し、九兵衛に差し出す。


「お手合せ願いたいです」


申し出に目を丸くする九兵衛。茫然と竹刀を受け取る彼に結城は顔を綻ばせて礼を言う。
佇まいを直し一礼する。二人は静かに竹刀を構え、瞬間大きく踏み出した結城がその音を響かせた。
僕は…弱い。
九兵衛と敏木斎の皿が割られ、柳生側の敗北という結果で幕切れとなった騒動。仰向けに倒れ、空に目を向けたまま傍に寄る妙へ九兵衛はそう呟いた。妙のようになりたかったと、彼の震えた声が今も耳底に残っている。
妙を護るために男になろうとした九兵衛。
左目の償いのために九兵衛のもとへ嫁ごうとした妙。
互いが互いを想うあまりに苦しくなってしまった心を、彼らは勝利という形で救ったのだろう。二人が交わした約束は、傍から見れば歪で辛いものだったのかもしれないが


「やっぱり、若様は強いです」


彼女のために強くなろうと剣を振るう彼の姿は、いつだって結城の瞳に眩しく映っていた。


「若様がおっしゃった通り、俺、腑抜けでした」


打たれた身体を起こし、結城は苦笑を浮かべる。


「人に剣を向けるのが、傷つけるのが怖くて。毎日振ってるこれが嫌で嫌で仕方ありませんでした」


手に持つ竹刀に目を落とし、結城は続ける。


「でも心のどこかでは強くなりたくて、どうしたら強くなれるのか分からなくてずっと悩んでました。そんな時、弥生さんに出会ったんです」


真剣を腰に差し、片足立ちで現れた少女を思い出して自然と結城の口から笑い声が漏れた。


「弥生さんは力を横暴に振るったりしないと思ってました。だからあの勝負から逃がそうと、俺も参戦したんです」


けれども、実際は違った。初めて会った時に抜かれなかった刀を、忌避してきた状況を、こちらに振りかざしてきた。


「俺、知らずに自分の弱さを弥生さんに押し付けてました。それに気付いて、もう何もかも投げ出そうとしましたが弥生さんがこう言ったんです。お妙さんと新八さんの笑顔が好きだと。だから、戦うのだと」


結城は目を細め、穏やかに微笑む。


「――ああ、強くなるってそういうことなんだって。自分を護ることしか知らなかった俺に、弥生さんが教えてくれました」


励ましてくれたのだろう。会って間もない人間の泣き言など聞き流すことだって出来た筈だ。むしろ困らせたに違いない。しかし弥生は迷惑がったりせず、逃げ出そうとした自分を引き止めてくれた。力の意味を見出させてくれた。ならば、腐ってはいけない。
結城は勢いよく顔をあげる。唐突に交わった視線に驚く九兵衛を真っ直ぐ見つめ、居住まいを正す。


「皿は割られてしまいましたが、まだここで、もっとちゃんと強くなりたいです!――貴方と、一緒に」


仲間達の笑い声がいやに大きく聞こえた。情けない話に失望させてしまっただろうか。もともと期待など寄せられていなかっただろうが、それでも。


「…お前は昔の僕に似ていた」


ふと、九兵衛が口を開く。きょとんとする結城に九兵衛は苦笑する。


「仲間に笑われ、見下げられてヘラヘラごまかすお前が、泣いてばかりいた僕と重なって腹が立った。お前が男だから、なおさらな…」


外見や、非力であったことから蔑まれるのは必然だった。しかし、酷い扱いを受けたことはない。笑ってネタ話にし、素直に相手の実力を称賛していた結城はいつしか友と呼べる人が数多くいた。こうした器用さが自身を甘やかし、彼の神経を逆撫でていたのかもしれない。


「男に生まれながら強くなろうとしないお前を勝手に妬んでつらく当たってしまった。…すまなかった」

「謝る必要なんてありません。若様は熱心に指導して下さったのに、応えようとしなかったのは俺なんですから」

「いや、僕がしてきたことは指導とは程遠いものだった。お前は僕に罵声の一つでも浴びせていいんだぞ」

「いえいえそんな!若様は俺の弱さを叩きあげようとしてくれただけじゃないですか!とんでもないです!!」


結城はぶんぶん首をふり、必死になって九兵衛の言葉を打ち消す。と、思わずといったふうに九兵衛が吹き出した。声を立てて笑う彼に、余程おかしな挙動をしていたらしい。結城はほのかに熱を帯びる頬をかいた。


「僕も、結城と共に強くなりたい。今度はちゃんと、お妙ちゃんの気持ちも笑顔も護れるようにな」

『…まもれるといいね…』


不意に弥生の小さな声が甦る。
あの時、泣きながら抱き合う九兵衛と妙をどこか遠く見つめていた彼女。その横顔にも、九兵衛にも、結城は同じ返事をするのだった。
使い方を誤れば、振りかざす力は暴力となる。
その力を扱うにはまだ未熟で、怖くて、弱い。だからこそ、強くなろうと思える。
立ち上がった少年から、力に怯える面影はもう無くなっていた。





*****
[ 3/4 ]

[*前頁] [次頁#]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -