「…っ、ごめんね」
震える声で謝ったお妙の顔が弥生の頭から離れない。 何に対しての謝罪なのか、何故泣きそうな顔をしたのか。いくら考えても答えは出ない。 色恋に疎い弥生でも、婚姻の仕組みは知っている。妻となる者は今の住居を出て夫となる者と共に暮らすことを。ならば、お妙は生涯柳生家で暮らすことになる。それを弥生は不満に思うのだ。 気持ち悪い胸中を宥めたくて足早に我が家を目指す。とにかく話さなければならない眼鏡がいる。 家に続く階段を上がっていると、聞き慣れたエンジン音がすぐ近くで止まった。手摺りに寄り掛かって下を見れば、やはり帰宅した三人の姿がある。上がってきた階段を下りて彼らに歩み寄ると銀時が口を開いた。
「おめーにしちゃ出迎えたァ殊勝じゃねーの。だが、んなんで今日ばっくれた事許してもらおうと思ってんならツメが甘ェ。そうだなァ、まず新妻みてーにエプロン着けて王道のセリフ言ってもら」 「弥生聞いてヨ!今日ゴリラがついにゴリラと交際スタートしてたアル!超でっかいゴリラだったネ!こんなん!」
銀時を押し退けて弥生の前に立った神楽は、小さい身体を目一杯使って話に出たゴリラの体長を伝えてくる。そんな神楽の頭を押し付けて彼女の口を塞いだ銀時は不服の旨をぶつけた。
「オイ神楽、説教の途中で割り込んでくんじゃねーよ。それにな、近藤の事はあんま言い触らしてやんな。可哀相だから」
「弥生だけ知らないなんて仲間外れみたいで嫌だったネ。銀ちゃんの話長い上につまんないし、どうせ弥生聞いてないネ、私に喋らせろヨ」
「畜生、言い返せねェ」
揉める二人から無言を保つ新八へ視線を移す。今朝見た時も元気がなかったが、今は更に意気消沈している。 お妙の言う通り、結婚の話は彼も聞いたようだ。
『新八』
「あ…ただいま弥生ちゃん」
『お妙、九兵衛のとこお嫁にいくんだって…いいの』
瞬間、新八の表情が苦々しく歪んだ。どうやら話が一方的だったのも同じらしい。
「弥生、なんでアネゴの事知ってるアルか」
『九兵衛の家いった…そん時聞いた』
「え、何、お前柳生家行ったの?なんで?まさかスカウトされたとか言うんじゃねーだろうな。勘弁しろよ。あそこセレブだぞ、受講料バカになんねーよやめとけ」
『うぃ』
「銀さん」
硬い声が銀時を呼んだ。
「今日はこれで家に帰ります。もしかしたら、姉上帰ってくるかもしれないし。だって何の話もないままお嫁に行くだなんて、そんなのおかしいじゃないですか。 ――教えてくれてありがとう、弥生ちゃん」
弥生は暫く淋しげな背中を見つめていた。 胸中に渦巻く不安は、依然居座ったままでいる。
「銀ちゃん、今日の晩ご飯何アルか」
「豆パン」
お妙が帰って来ることを願って弥生は再び階段を上がった。しかし、その願いが届かずに終わったと知ったのは二日後になる。
「弥生、定春の散歩に行こうネ」
毎度の如くのしかかって起こしにきた神楽。いつもなら枕に抱き着いて起床を拒むが、弥生は両目を擦った後眠気で怠い身体を起こす。散歩とは名目で神楽が向かおうとしている場所に、弥生も用があるからだ。案の定、昨日に引き続き新八の姿が万事屋にない。お通関連や風邪でもこじらせない限り皆勤も夢じゃない彼が。 万事屋を出て定春に揺られること数十分、挨拶もそこそこに出迎えがない志村宅に上がって二人は客間への廊下を慣れた足取りで進む。
「新八ィ、オメーいるなら出迎えぐらいするアル」
「あ…ごめん」
一人そこに座る新八の手には手紙が握られている。良い報せでないのは彼の表情から窺えた。
『…お妙、かえってきた』
新八は首を左右に振る。 向かいに座ってテーブルに顎を置く弥生は眼前の茶封筒を凝視していると、隣に座った神楽が尋ねた。
「誰からアルか?」
「…姉上から。修業してるから帰れないって手紙がさっき来たんだ」
「帰れないって…いつまでヨ」
「知らないよ。…何も知らないんだ、僕は」
新八の言葉には悔しさがにじんでいた。 お妙と九兵衛の間柄は幼なじみであった。結婚は、二人が幼い頃に約束したものであると聞く。だから、当然彼女は柳生家に嫁ぐ運命だ、などと弥生も納得したくない。 お妙は意思を持って九兵衛の所へ行ったようだが、ならば何故あんな顔をしたのか。
「ねェ弥生…このままアネゴと会えなくなったりしないよネ?」
『…ん、ない』
彼らの屋敷を見上げながら問う神楽に、祈りにも近い返事を弥生は紡いだ。
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