動揺がありありと伝わる声が弥生の名を呼んだ。口許に手を添え、瞠目する彼女は小走りで弥生の傍へ寄る。


『お妙』

「どうして弥生ちゃんが此処に?」

「妙ちゃんの知り合いだったのか。世間は広いようで狭いとはこのことだな」


小さく笑って九兵衛は言うと弥生に向き直り、波紋を呼び起こす発言をいとも簡単に告げた。


「僕は柳生九兵衛、妙ちゃんとは夫婦となる者だ」

「………、え?」


呆けたように声をあげたのは結城である。


『…めおと』

「あの、その事輿矩様は…?」

「これから報告しに行く。弥生ちゃんと言ったか、結城が世話になった。ゆっくりしていってくれ。
行こうか妙ちゃん」


促されて一歩踏み出したお妙の袖を弥生は掴んで彼女の足を止める。出会ってから表情が優れないお妙を無表情に見つめる弥生の視線から居心地悪そうに彼女は顔を伏せた。


『お妙、九兵衛のとこにおよめに行くの…』

「…ええ、そうなの」

『…、新八は』

「新ちゃんには…もう話したから」


いつもの笑顔でやんわり弥生の手を袖から離すと九兵衛のもとへ歩いていく。


『どうして笑うの』


その彼女の背中へ、無垢な子供のように純粋な疑問を弥生が問う。
お妙の様子が違うことは彼女を目にした時から知っていた。なのに、お妙は笑う。自分の感情を隠すように。


『どうして何も言ってくれないの…』


無言を貫くお妙に再び問う。足を止めたまま動けずにいる彼女はまるで逃れられない宿命に囚われているようであり、何か責任を負っているようにも見えた。
だからこそ、


「…っ、ごめんね」


彼女の本当の言葉を聞きたかった。


「あの方が若様の奥様に…綺麗な方ですね。急な話でびっくりしましたけど、おめでたいで」

『帰る…』

「は…え?弥生さん!?」


小さくなっていく二つの背中から弥生へ目を移せばすでに門へ向かって歩く姿があり、慌てて追いかける。


「あの、どうかしましたか?」

『用できた…帰る』

「な、なら都合のよろしい日にまたいらして下さい」

『ん』


弥生の短い返事に安堵した結城は頬を緩める。これが皮肉な形で果たされることになるとも知らずに。

その日、柳生家は九兵衛の帰省と婚約の話で持ち切りだった。が、話には出るものの明確な公表も祝福の雰囲気もない。おそらくそれは九兵衛の父、輿矩が認めなかったのだろうと皆、口を揃えた。
柳生の名に威信を持つ輿矩は名も無い町道場の娘を嫁に迎える気などさらさらないのだ。
竹刀を振るいながら仲間の会話に耳を傾けていた結城はどよめく声に手を止める。


「構うな、続けろ」


見れば渦中の人である九兵衛だった。彼の登場に一層士気が上がる道場の中で、一人結城は緊張で身体を強張らせる。自然、九兵衛の目に触れぬような場所へ移動するが


「結城、出てこい」


名指しを受けてしまい、隠れることは叶わなかった。結城を見た男達は譲るように動き、九兵衛までの道を作る。彼が言うであろう台詞が解る結城は重い足を引きずるかの如く踏み出して彼の前に立つ。


「どこでもいい。僕に一太刀浴びせてみろ」


もしかしたら、という甘い考えは容赦なく打ち砕かれた。試合稽古は結城がもっとも苦手とする手合せである。しかし此処は剣を学ぶ場、苦手だろうが嫌だろうが取り組まなければならない。


「…お願いします」

「お前から打ってこい」


近くの男から竹刀を借りて構える九兵衛に一礼して結城も竹刀を構える。間合いを詰め、九兵衛の竹刀へ振り下ろす。暫くそうして打ち込むが、結城は一向に勝負に出ようとしない。いつまでも元立ちをさせる結城に痺れを切らした九兵衛は彼の竹刀を弾くと怯んだ隙に結城の手首を叩いて竹刀を手放させ、その額に突きを繰り出す。
早業と呼ぶべき出来事だった。


「僕が修業をしていた三年間、お前は何をしていた?」


くらむ頭に怒気を含ませた九兵衛の声が響く。倒れた身体を起こすも九兵衛の顔を見る勇気はなかった。


「お前は何故ここにいる。いつになったらその軟弱な精神は消えるんだ」

「っ、すいません」

「やる気がないなら出ていけ。お前からは強くなろうとする意志が感じられない。そんな奴は稽古の邪魔になるだけだ」

「…っ」

「その辺にしてやれ九兵衛」

「…!おじい様」


結城を庇ったのは小人のように小さい老人だった。
九兵衛の祖父、敏木斎である。


「心配せずとも結城ちゃんはちょっとずつ強くなっとるよ。わしが近くで見とったから間違いない」

「…おじい様は結城に甘いです」


九兵衛が道場を出てからも、結城は顔を伏せたままでいた。悲痛に歪む顔を上げられないでいると優しく背を叩かれる。


「そう落ち込むな。結城ちゃんは頑張っとるぞい」

「敏木斎様…俺、」

「ホレ、わしのとっておきのやるから泣くでない」

「泣いてません…って、これまた何拾ってきたんですか」

「勿体なかったからの。何か使い道があるじゃろうと思って」

「いや…これ多分ないです」


九兵衛の言葉は尤もだった。故に、彼の言葉は鋭く結城の胸に深く突き刺さった。
強くなりたくない訳ではない。けれど強さとは何なのかと逡巡する。
誰かを打ち負かす事が強いのか。人を傷つける力を強さと言うのか。でもそれは母子を強請っていた男と同じ暴力になるのではないか。境界線はどこかのか。
答えがない疑問ばかりが頭を占める少年は誰よりも力を欲し、誰よりも力を嫌っていた。








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