後ろ手に戸を閉めて仰いだ空は夜の帳が下りていた。暗闇の静寂は遥か遠く、電飾が輝くかぶき町は一番の賑わいを見せている。
この街は酒を主に提供する夜間営業の店が数多くある。往来は仕事を終えたサラリーマンやOL、着飾った若者が溢れ、始まったばかりの夜を楽しんでいた。


「お腹へったアル〜、今日いっぱい走ったからヨ」

『そしたらいっぱい食べればいいよ…』

「いいアルカ!?私卵かけご飯いっぱい食べたいネ!」

『…卵かけご飯おいしいね』

「アレは三食毎日でも飽きないおいしさアル」


時折声をかけてくる客引きを躱しながら弥生は馴染みの店へと続く道を進んでいく。


「弥生も住み込みで働いてるアルか?今日から私も一緒ヨ。故郷帰るためのお金稼ぐネ」

『ふぅん…がんばれ』

「…………、ムフっ」


ふと包まれた掌に目を向けると、どうしてだか嬉しそうにしている少女に弥生は目を瞬く。並んでいた肩が前を行くと繋がれた手が引っぱられ、弥生のゆったりした歩調が乱れた。


「弥生!ご飯食べたらお風呂一緒に入ろうヨ!」

『ん』

「そんで朝までたくさんお喋りするアル!」

『えー…ねたい…』

「今日は夜更かしも夜中のお菓子もいいネ!いっぱい買っとくアル!ムフフ〜」


右へ左へ腕を揺らす少女は、これから過ごす時間が楽しみで仕方ないといった様子だ。おそらく弥生の主張は彼女に届いていないだろうが、夜は自然と眠くなるもの。経験上そう弥生は思っており、きっと少女も朝まで起きてはいられないだろうと一人頷く。


「おゥコラ、なに人様の顔ジロジロ見とんのじゃ」


ひたすら足を動かしていると、そこかしこで交わされている談話の中から粗暴な声が耳朶に触れた。前方に着物を着崩した強面の男達が通りの真ん中に密集している。無頼漢も多いこの街ではよく見られる光景だ。街行く人は皆、不穏な空気を避けて歩いていくため男達の周りには空洞が出来ていた。
次第に苛立ちが加速してきた男達は互いに胸倉を掴み合うとどちらともなく拳を突き出す。始まったいざこざに小さな悲鳴と戸惑う声、中には喧嘩を煽る野次さえ飛んでいた。弥生が彼らの横を通ったのはそんな時だった。
突然襲った衝撃に弥生の身体は倒れ、黒いものに押し潰される。それが何で、身に起こった事態は何だったのか理解する前に弥生から重さと熱が消えた。


「オイ、ブタみてーな図体を弥生にぶつけてんじゃねーアル」


顔をあげれば、少女が自身よりもずっと体重のある男を片手で持ち上げていた。そしてボールを投げるような軽い動作で喧騒の中へ男をぶん投げると、ぼうっと座り込む弥生の傍に膝をつく。


「大丈夫カ?」

『へーき…』


立ち上がって土を払う。すると再び少女に手を取られ、弥生は連れられる。


「弥生ふわふわしてて危なっかしいヨ。さっきみたいにならないよう私が護ってやるからナ」

『…ありがと、神楽』


礼を告げると少女――神楽は満面の笑顔を表情に咲かせた。
帰宅後。
食事を終え、風呂も済ませ、いざ夢の世界へ旅立ちたかった弥生であったが、歳の近い娘と寝泊まりを共にすることが初めてだった神楽のはしゃぎっぷりに、弥生は初の夜更かしをしたのだった。










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