BABY ALONE IN BABYLON 1


 薄暗い店内の奥まった壁際に、煌々と光に照らし出された一角。
 ゆらゆらと長い尾びれを揺らしながら、数匹の赤い魚が光の中を泳いでいる。
 この店の名前の由来にもなった魚たち。
 毎日、店内で繰り返される酔っ払いたちの戯れ言を、水槽の向こうで聞き耳でもたてているのだろうか。

 幸成は水槽の蓋を開けて、パラパラと餌を溢しいれる。
 魚たちはスイと水を切りながら餌を食むと、私たちは何も関係ありませんよとも言いたげに口からコポコポと小さい泡を吐いた。


 ポワソン・ルージュは新宿駅から少し離れた雑居ビルの2階に位置する、こじんまりとしたカフェバーだ。
 幸成はこの店のオーナーで、普段はあまり店内に顔を出すことはない。
 ただ、店の閉店時間の頃になると住居のあるビルの最上階から降りてきて、その日の伝票と売上金を受け取りにくるのだ。
 そしてお客様が全て退けて、従業員も帰った後、その静寂の中で赤い魚に餌をやりながらぼんやりとするのが日課になっていた。

 いつもなら、それで終わりなのだが…。
 幸成はカウンターの隅に腰を下ろして、何事か考えていた。
 実際の年齢よりも上に見られがちな渋い顔の眉間は微かに皺がよっていて、いつもならニヤリと笑うセクシーな口元も今はピクリとも動いていない。

「また、悪い癖が出たよな」

 誰にも聞かせるでもなく零れ落ちた言葉。
 いつもはまっすぐに伸びる背筋を丸めて、ふぅ〜とため息をつき水槽の方に向き直ると、骨ばった指先でガラスを軽く叩いた。
 その音に反応した魚たちが用心深く近づいてくる。

「お前らはどう思う?この感傷に浸ったバカなオヤジをさ」


 感情の見えない赤い魚たちは口をパクパクと動かすと、また元来た場所へ泳ぎ去ってしまった。
 水中でゆらゆら揺れる赤い魚は、まるで嫌なことを忘れようとして酒に酔い、ふらふらとさまよう人間の心のようだと幸成は思った。

 俺もまだ、さまよっているのだろうか。
 過去に捕らわれたままで。

 コポコポコポと水槽に空気を送り出すポンプの音だけが響く店内で、幸成は次にすべきことを考えた。
 明日もあるのだから自分の部屋にさっさと帰れば良いものを、どこか躊躇っているのは昨夜の拾い物のせいだった。


 部屋で眠っている、図体のでかい、黒髪の、名前も知らない猫のせいだった。


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