ブラウン・シュガー 1


「自分の恋人を色に例えると何色ですか?」

 ヒロが経営する喫茶店に朝イチで顔を出し幸せな薫りのするコーヒーを飲んだ後、いつもと変わらないこじんまりとしたオフィスに出勤した。
 都心にあるといえ戦後の高度成長期に建設された雑居ビルの中。今ではすっかりくたびれた姿を晒してはいるが、そこに居を構えるのは小さいながらも前途有望な会社ばかりだと誠しやかに囁かれている。
 和臣はパソコンを立ち上げ、現在の主力商品である化粧水の売上動向と開発中の洗顔石鹸についてモニターアンケートのチェックを終えると、鞄から小さな紙袋を取り出しいそいそと給湯室へ足を運んだ。

 いい豆が入ったからとヒロから持たされた紙袋には、セピア色のコーヒー豆が艶々と光っている。
 鼻先を紙袋に突っ込んで深呼吸すると、パソコン画面を睨み続けた両目から柔らかく力が抜けていくのがわかった。
 家から持ち込んだミルで豆を挽き始めると、どこからともなく人が集まってきて私にもお願いしますと声が掛かった。

 その声の中に先ほどの質問が含まれていたのだ。

 後ろを振り返り声の主を確認する。
 後輩の加藤が頭ひとつ分上から見下ろしていた。ニコニコと屈託のない笑顔は、さながらご主人様からのご褒美を待つ犬のようだ。
 しかも少しだけおバカな犬だ。

「オマエの脈絡のなさにはため息が出る」

 少しばかり大袈裟にため息をついてみせると、長い手足をバタバタさせながら、そうじゃないんだと訴えてくるからうるさくて敵わない。これで女性社員からは人気があるのだから世の中は良くわからないものだ。

「違うんですよ、カズさぁ〜ん」
「うるさい。何が違うんだよ」
「だから昨日ですね、バトンが来たんですよ〜」

 何に対して「だから」なのかがわからないのだが、和臣は細かい説明を飛ばしてしまいがちな加藤の話に乗ってやることにした。

「バトンって、マーチングバンドで振り回してるヤツとは違うんだな?」
「違いますよ〜、ボケないで下さいって。ネットのバトンですよ〜ほら質問とかするヤツです」

 ああ、あれかと気のない返事をしながらホーロー製のケトルに水を注ぎ火にかける。

「で、その恋人を色に例えると…って質問があったんだな?」
「カズさんに訊きたかったんです」
「何で俺なのよ? そういうのは女性の方がよろこぶんじゃないか?」

 更にミルに豆を入れて、ハンドルをゆっくり廻していく。
 辺りに香ばしい薫りが漂うと、オフィス全体にちょっと休憩しようかという雰囲気が流れ始めていた。

「だってカズさん、恋人とラブラブでしょ?」
「オマエ、ラブラブって…恥ずかしいヤツだな。そんな言葉使いすんなよ。仮にも社会人だろが」
「社会人でもラブラブしたいんですぅ〜」

 拗ねた子供のような口調の加藤に、ガクッと和臣の肩の力が抜けた。

「ねぇねぇ、カズさん」
「ああ、もうわかったよ。答えりゃいいんだろ?」

 何故か和臣は新人の頃から加藤に懐かれている。
 明るくて物怖じしない性格は好ましいのだが、順序よく説明することが出来ない加藤の会話は誰もが時折疲れてしまう。

「カズさん、また加藤犬に懐かれてますね」
「仕方ないって。カズさん以外は犬語を理解できないんだから」
「確かにね〜。加藤犬、見た目はカッコいいけど言葉が通じないからね〜」

 すらりと背が高くふわふわした長めの茶髪。イメージはさしずめ人懐こいゴールデンレトリーバーのようだ。
 給湯室の二人を遠くから伺っている視線など意にも返さず、楽しそうにしている加藤は注目を集めやすい人間だった。


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