アラビカ・ハイロースト 3


 アスファルトに照り返す陽射しを跨ぐように、たくさんの靴音が響き始める。
 すっかり目覚めたオフィス街は、これから夕方までずっと賑やかな姿を見せ続けるのだ。

「ヒロの仕事はさ、オレのやってる仕事と似てるのかもな」

 和臣は空になったカップをズイと差し出すと、無言で二杯目を要求した。

「どこが似てるって?」
「ん〜と、無駄なものを削っていくところが」

 和臣は化粧品開発に携わる研究所に勤めている。
 日本ではまだメジャーではないのだが、化粧品の原料を全て天然物から抽出することを徹底している海外の企業で、その厳しい製品化基準値が顧客の信頼を呼び、ジワジワと売上をのばしている。

「本物って誤魔化しがないんだよな。素材で勝負してるから」
「そういって貰えるのは嬉しいけどね」

 ヒロは照れくさそうにしながら、二杯目のコーヒーを和臣に差し出した。

 ヒロの使う豆はそのほとんどが国内産だ。
 沖縄や小豆島で育てられた豆を現地まで行って買い付けて来るのだ。
 海外産の豆は正規にフェアトレードされたものだけを使う。
 ヒロは大手企業のコーヒーは飲まない。海外のコーヒー農園は現地の人間を安い賃金で雇い、過酷な労働条件で働かせているところが多いからだ。
 そのコーヒーは苦しみの血の味がすると言って忌み嫌っている。

 たった一杯のコーヒーに込められたその想いを、和臣は毎日一番に楽しむことを誇りに思っている。

「なあ、ヒロ。日本人ってのは贅沢だな」
「そうだね。海外にいるとわかるけど、日本は何でも手に入る便利な国だよ」
「その贅沢が当たり前になっちゃうのはいかんよなあ」
「でも当たり前にあったら、それが贅沢なことだとは気づかないんじゃないかな」
「あ〜そうか。オレも気を付けないとな」

 和臣はカウンター内でグラスを磨いているヒロをチラリと見上げた。
 その視線の意味をはかりかねて、ヒロは小さく首を傾げた。

「さて、そろそろ行きますか」

 和臣は残りのコーヒーを飲み干すと、ポケットから千円札を取り出しカウンターにそっと置いて入口ドアに向かった。

「ちょっと和臣、お金はいいって…」
「ダメだよ、商売だろ? この次は奢って貰うから」

 白い歯をニッカリと見せた和臣は、右手を大きく振ってみせた。
 そしてドアに手をかけて出ていこうとした瞬間、足を止めてヒロの方を再び振り返った。

「…ヒロ」
「ん?」

 コーヒーカップを下げながら、ヒロは和臣の声に顔をあげた。
 柔らかな茶色の髪に朝日が反射して光っている。

「多分さ、オレが世界一の贅沢もんだと思うよ」
「何だ、それ」

 クスクスと笑いながら、ヒロは和臣の背中に声を投げた。

「ほら、遅刻するぞ」
「ハイハイ」
「ハイは一回だ」
「ハ〜イ、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」

 細い和臣の体が白いドアをすり抜けて、賑やかな街に飛び出して行った。

「全く…何にもわかっちゃいねえんだな」

 呟いた言葉は小さすぎてヒロには届かなかった。

 毎朝、毎日、繰り返される小さなやり取り。
 その贅沢を、決して手放したくないと思う気持ちはどちらの心にも息づいている。

 それは色褪せない青春の酸っぱさに似ていた。


【fin】


[*前] | [次#]
[目次]



×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -