アラビカ・ハイロースト 2
ヒロの店は本格的な食事提供はしていない。
朝や昼に関係なく、和泉が丁寧に焼いたパンをコーヒーとセットで提供するのが精一杯なのだ。
だからコーヒーはそれなりの値段になってしまうのだが、このセットを求めて開店時間に合わせて来るお客様も少なくなく、お昼までにパンは全て売り切れてしまうことがあるほどの人気ぶりなのだ。
ヒロは水を濾過している間に、その日提供する分だけの生豆を焙煎する。
慌ただしい朝の時間。
豆の色ツヤを確認しながら直火で焙煎していると、店の入口ドアに掛かっているベルが鳴り、続いて「おっはよー」という能天気な声が飛び込んでくる。
午前7時少し前。ヒロは満面の笑みを浮かべながら、入口ドアに顔を向ける。
毎朝、毎日、繰り返されるそのやり取り。
当たり前の顔をしてカウンター席に陣取る、スーツ姿の黒髪の男。
出会った時と変わらない飄々とした風貌で笑いかけてくる。
「おはよう、和臣」
「今日もオレが一番だな」
「こんな早くから来なくったって、和泉さんのクロワッサンはお取り置きしておくのに」
焙煎してバットに広げて冷ました豆を、カラカラとミルで手挽きする。
電動ミルも悪くはないが、均一に挽くよりも少し粗さがあった方が風味が増すとヒロは思っているから、あくまでも手挽きにこだわる。
しばらくすると、店内には馥郁とした芳ばしいコーヒーの香りが漂い始める。
「ばぁ〜か、オレの一番の目当てはクロワッサンじゃないよ」
「ただで試飲できるコーヒーとか?」
ヒロはわざと意地悪な口調で向かい側に座る和臣をねめつけた。
浅煎り、中煎り、深煎りに、粗挽き、中挽き、細挽き。
どの豆をどれくらい煎って、どれくらいに挽くのかで、コーヒーの味は歴然と変わってしまう。
だから信頼のおける人間に厳しくチェックして貰いたい気持ちは常にある。
「今日はサイフォンでさっばり目にしてみたよ」
和臣の目の前に差し出された白いカップには、琥珀色のコーヒーが温かな湯気を上げている。
勿論、クロワッサンも一緒に提供される。
すんなりと長くて白いヒロの指先をチラリと盗み見てから、和臣は目を閉じてゆっくりと香りを楽しむとおもむろにひと口、口に含みゴクリと喉を鳴らして飲み込んだ。
「キリマンジャロ?」
「ハイマウンテンとキリマンをブレンドしてる。ハイローストだから少し酸味が強いかな。でも朝にはちょうどいいと思うんだけど」「慣れないひとにはちょっと酸っぱいかも。マンデリンでも足せば?」
「ん〜、そうすると原価がなぁ…」
難しい顔で唸る恋人を見上げながら、和臣はさっくりと焼き上がったクロワッサンを頬張った。
ふわりと立ち上がる小麦の焼けた香り。指先についたバターをペロリと舐める。
「ブレンドって難しいのな」
「まあね。ブレンドはその店の顔みたいなものだから。お客様の好みもあるし、年代別に好まれる味も違うしね。その中で豆の配合の黄金率を見つけるのは至難の技だよ」
喫茶店のみならず、大手のカフェチェーンも頭打ちの昨今、間違いのない商品を提供しながら勝ち残っていくのは大変なことだろう。
けれど、あくまでも喫茶店という形態にこだわるヒロの営業方針を和臣は悪いとは思わなかった。
流行り廃りが大きいものよりも、昔から変わらないものの強さを感じるからだ。
和臣はグイッとコーヒーを飲み干すと、入口ドアから射し込む陽の光りに目を細めた。
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