アラビカ・ハイロースト 1


 アスファルトにたくさんの靴音が響く少し前の時間。
 白々と明け始めた空にポツンと光る星を確認しながら、ヒロはガラリと窓を開ける。

 オフィス街に面した大きな通りを一本曲がった路地に建つ雑居ビルの二階。
 一階の店舗の内側から繋がっている住居スペースは程よい広さで、独り暮らしの身には気楽で居心地の良い場所になっている。
 しかしながら、街が活気付く頃には窓など開けていられないほどの空気の悪さは否めない。
 それさえ目を瞑れば、東京都内、JR線、駅から歩いて7、8分の一等地に住むことの恩恵は余りあるほど大きい。

 ヒロは身仕度を整えると、軽快な足どりで内階段を降り店舗へ入った。
 電気を点けて窓を全開にすると、まず始めることは何はなくとも掃除だ。
 店じまいをする時にも掃除は欠かさないのだが、店の空気を入れ換えながらテーブルや椅子を拭き掃除していると、そこに淀んだ昨日までの空気が一掃されて、心まで清々しくなるのが堪らなく心地よいのだ。

 店舗経営の基本は掃除の徹底だと言っても良い。
 どんなに洒落た店でも、従業員が可愛くても、味が良くても、汚れた店はそこまでだと言ってもいいくらいだ。
 それほどにヒロは店を愛している。
 車好きがメンテナンスにお金をかけるように、フィギュア好きが丁寧にコレクションを並べるように、店を磨きあげ、清潔に保ち、仕入れにもこだわりを持ちながら、コーヒーカップ一杯の安らぎを提供するのがヒロの幸せでもあるのだ。

 そうして店を磨きあげ、店の外回りをホウキで綺麗に掃き掃除していると、脇の道から白いバンがゆっくりと店前に入ってくるのに気づいた。
 プップッと軽く鳴らされたクラクションに、ヒロは爽やかに笑って右手を上げる。
 緩やかに停車したバンから、白いコックコートを着たガタイの良い男がのっそりと現れ丁寧に頭を下げたかと思うと、車の後ろから四角いステンレスのケースをいくつか抱えてヒロの店へ入っていった。

「おはようございます、ヒロさん。確認をお願いします」
「は〜い、いま参ります」

 ヒロはホウキを店入口に立て掛けると、男の後を追うように店の中へ入った。
 重ねられたケースの中には焼きたてのパンがズラリと並び、どれも美味しそうな色ツヤを放っている。

「あぁ、いい香りですね。和泉さんのパンは酵母と小麦の香りがしっかりします。毎回安心しますよ」
「ありがとうございます。ま、これくらいしか能がないんですよ。もっとたくさん作れればいいんですけど。さすがに天然酵母で手捏ねでってなると量産は無理ですね」
「もっとたくさんの方に和泉さんのパンを知って貰いたいんですが、量産したらこの味はでないでしょうね。痛し痒しですよねぇ」
「ホントに。商売するなら儲けて当たり前って思うんですけど…どうにも妥協できないところがありましてね。妻には苦労させてますよ」

 人の良さそうな丸顔をくしゃりとさせると、和泉は言葉とは裏腹なほどの明るい笑顔を見せる。
 きっと家庭円満なのだろうとヒロは勝手に推測をした。
 そして、納品されたパンの種類と個数を手早くチェックすると、納品書にサインをして和泉に手渡した。


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