ホワイト・ブレンド 2


 マンションのエントランスに着き、乗り込もうとしたエレベーターが遥か上の階で停まっているのがわかった時点で、和臣はすぐ横にある階段を上り始めた。

 疲れるのはわかっているけれど、今は駆け上がっていきたい気分なのだ。
 一段上がる度に距離が近づくのだと思うと、子供のようにワクワクしてくる。

 親の転勤で引越しばかりの子供時代には、学校へ行くのも家に帰るのも嫌だった。
 転勤の度に住む街はどこか他人行儀で、街並みに慣れた頃にはまた去らなければならない。学校で繰り返される『さようなら会』と、洗礼のように受ける質問攻め。
 そんな暮らしがやっと落ち着いたのが高校1年の時だった。

 クラスメイトとして出会ったヒロを始めとして、たくさんの友達を作ることが出来たけれど、その時初めて和臣は自分が置いていかれる側を経験したのである。
 いつもは自分がその場所からいなくなる側だったのに、卒業を目前に控えたあの日に、ヒロからバリスタ修行にアメリカへ行くと告げられたのだ。
 いつも寂しいのは去っていく自分なのだと思っていたのに、初めて置いていかれる寂しさを知り愕然となった。

 いつでも、どこでも、寂しいのは自分だけだと思っていたのは、明らかな間違いだったのかもしれないと気づいた瞬間だった。


 あの日があったから今があるんだよな。
 和臣は込み上げてくる喜びに胸を震わせて、一段、また一段と階段を上っていく。
 高校卒業後、全く連絡が取れなくなってしまったヒロとの再会は意外な形で訪れた。
 オフィス近くに新しく出来た喫茶店に飛び込んだら、そのカウンターの中にヒロがいたのだ。思わず「ありえねぇ!」と叫んだのは今となってはいい思い出だ。


 階段を上りきり、和臣は真っ直ぐに部屋のドアへ向かった。掴んだドアノブをゆっくり回し手前に引く。
 その瞬間、ふわりとコーヒーの薫りが鼻をつき、暖かな空気が冷えた和臣の体を包み込んだ。


「おかえりなさい」

 耳に心地よい低めの声と、力強い両腕が和臣を迎えてくれる。

「ただいま」

 やっとこの場所にたどり着いた。そんな気持ちで広い背中を抱き返す。

「コーヒー淹れたよ」
「うん」
「疲れてるみたいだから、ミルクと砂糖を入れてカフェオレにしよ?」
「うん」


 ふたりくっついたままダイニングへ向かい、唇が軽く触れ合うだけのキスをして、やっと腰が落ち着く。
 目の前のカップにコーヒーを半分注ぎ、温めたミルクを注ぐ。深い茶色にミルクの白が混ざり、なんとも言えない優しい色合いに変化する。
 コーヒーは眠気を覚ます飲み物だと決めこんでいた和臣に、コーヒーは心を癒す飲み物だと教えてくれたのは他ならぬヒロだった。

「頑張るのもいいけれど、たまには肩の力を抜きなよ」

 再会した時、そう言って薦めてくれたカフェオレは、ほんのり甘くて、会えずにいた長い時間を一気に溶かしてくれたのだ。

「はぁ、癒される」
「そう?それは良かった」

 ひと口、カフェオレを飲んで溜め息をつく和臣を、ヒロはテーブル越しに見つめ微笑みかける。
 その途端、和臣の口から「うふふ」と笑いが零れた。

「何?」
「なんでもない」
「なんだよニヤニヤして。やらしいな」

 和臣はしばらくの間、笑いが止まらなかった。

 外の空気はいよいよ冷たさを増して、冬の足音が近づいていたけれど。
 明日もきっと仕事で歩き回って疲れてしまうだろうけれど。
 ふたりを包むこの暖かさは、きっとこの先も変わらないから。
 和臣はそう心に思いながら、ヒロに声をかけた。

「ねぇ、ヒロ」
「ん、何?」

いつもより甘ったれた声になるのを自覚しながら、和臣は言葉を続けた。

「カフェオレ、もう一杯作ってよ」


【Fin】


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