ビター・スウィート・タイム


 アスファルトに照り返す強い日射しから逃れるように、和臣は足早にそのドアの内側へ滑り込んだ。
 カランカランと軽快なドアベルが鳴り響いた後、体が爽やかな空気に包まれて思わず大きなため息が口をついて出た。


「お疲れだね」


 ドア付近立ち尽くしぐったりした様子の和臣に、ヒロはおしぼりを差し出しながら笑いかけた。


「あっついなんてもんじゃないよ。いつから日本は亜熱帯地域になったんだ?」
「ああ、確かに最近の暑さはちょっと異常だね。子供の頃ってこんなに暑くなかったよねえ」


 日本の夏にスーツ姿のサラリーマンは辛いとぼやきながら、和臣はいつものカウンター隅に腰をおろした。


 相も変わらず磨き込められたテーブルに落ち着いた雰囲気の照明。木目を活かした柔らかな色調に、余計な物を置かない主義のヒロらしく店内はすっきりして、コーヒーの薫りがふわふわと辺りを漂っている。
 お昼時の忙しい時間を過ぎた午後3時は、夕方にまた訪れる忙しさの前の、静かなほんの一時を過ごすことができる時間帯だ。
 和臣はどんなに自分の仕事が忙しくても、この時間をどうにか死守している。
 1日に一度、ヒロの顔を見るだけで夕方からも頑張れるからだ。


 余りの暑さに暫くカウンターに突っ伏していた和臣の目の前に、そっとグラスが差し出された。
 和臣は待ってましたとばかりに、慌てて体を起こすと嬉しそうにそのグラスを引き寄せた。


 ヒロが経営するコーヒー専門店では通常アイスコーヒーはメニューにないのだが、夏場だけは特別に提供している。
 何にでも細かいこだわりをみせるヒロは、アイスコーヒーを提供する際に氷でコーヒーが薄まるのを嫌い、わざわざコーヒーで氷を作る徹底ぶりだ。
 そこがお客様に愛されるところでもあるのだが、今、和臣の前に出されたのは残念ながらアイスコーヒーではない。


 甘いものが大好きな和臣の為に何か作れないかと考えた末に、コーヒーの氷とアイスクリーム、牛乳、メープルシロップなどを混ぜたシェイクを考案したのだ。
 勿論、これは完全に裏メニューで、余程の常連客でないかぎりオーダーしないし、メニューにあることすらあまり知られていない代物でもある。


「これこれ、これが楽しみなんだよね」


 特別に用意してある太めのストローをグラスに差すと、和臣は嬉しそうに目を細めシェイクを飲み始めた。
 暑さに疲れた体を少しでも癒してあげたいと多少甘めに仕上げてあるのがポイントなのだが、多分、和臣は気づいていないだろう。
 和臣は細かなことには気づかない大雑把な性格をしている(おおらかと言えばいいのか)


 でも、それでいいのだとヒロは思っている。

 押し付けの愛情ほど醜いものはない。
 相手が嬉しそうな笑顔を見せるのなら、ヒロはそれだけで幸せなのだ。


 ヒロは日射しの強まる空を、窓から何気なく見上げた。
 鮮やかに広がる青の中に、うっすらと見え隠れする秋の気配があった。


「暑さ寒さも彼岸まで…って言うからさ、あっという間に涼しくなるよ」
「そうあって欲しいけどな」


 和臣もヒロと共に眩しげに空を見上げた。


 巡る季節の一時。
 夏が過ぎて秋が来て、気づけば今度は寒い寒いと騒ぐことになるのだ、きっと。

 それでもそばに君がいる。それなら暑くても寒くてもいいかと思える。
 そんな、大切な時間。


【fin】


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