おいしい関係 1
「チッ」
パソコンを睨んだままの和臣がいきなり悔しそうに舌打ちをした。
約束もなしに部屋に来たのは迷惑だったかと思いながらも、イライラした後ろ姿を見ていると少しでも何か自分にできないかとヒロは考えてしまう。
キッチンのコンロにかかった鍋の中では、野菜と鶏肉がスープに馴染んで良い具合になっていて、買ってきたワインも冷えている。 出来ればパソコンから顔をあげて、ダイニングキッチンにいる自分を振り返って欲しいだなんて贅沢な考えだろうか。
昨夜遅くに和臣の会社から自宅に連絡が入った。
ドイツに本社を構え、ヨーロッパ各地に化粧品の原料となる植物農場や研究所、各支社があるために、緊急時には日本時間の夜中に連絡がくることもあるのだ。
「出し抜かれたって何だよ、それ!?」
携帯電話に向かって声高に叫んだ和臣は、夜中にも関わらずその日そのまま会社へすっ飛んでいった。
そして丸一日経った今日、疲れた顔をして自宅へ戻ってきたのだが、ずっとパソコンに向かったままだった。
どこから情報が漏れたのか。はたまた誰かがリークしたのかわからないが、開発中だった洗顔料とそっくりの商品が他メーカーから発表されたのだ。
完全オリジナル、天然由来成分から作られた安心安全を謳う化粧品メーカーとしてのプライドが和臣の心を奮わせ、睡眠をとっていないであろう横顔を鋭くさせていた。
「…和臣」
ヒロはそっと声をかけた。
ピクリと跳ね上がった肩の向こうから、やっと和臣がヒロを振り返った。
優しく見つめるヒロに気づいた和臣は、見開いた目を細めてクシャリと顔を崩した。
「…ごめん、イライラしてた。ヒロは関係ないのに」
ヒロは静かに首を横に振り手招きをすると、和臣に淹れたばかりのコーヒーを差し出した。
和臣はヨロヨロとソファーから立ち上がりダイニングキッチンのテーブルに着くと、コーヒーとポトフの温かい湯気に身体が包まれるのを感じた。
鼻先に漂う香りにくぅーと胃が動き、口の中に涎が溢れて喉が鳴った。
「まずは腹ごしらえして? 倒れたらどうするの」
「うん、ごめん」
「謝らなくていいから、きちんと食べて寝なきゃ」
「うん」
叱られた子供のように項垂れる和臣をたしなめながら、ヒロは白いスープ皿にポトフをよそい入れた。
ゴロリと大きなジャガイモとニンジン、骨付きの鶏肉にドイツから空輸されてきたソーセージ。そこに別茹でしたブロッコリーを乗せて、皿の端に粒マスタードを添えた。
黄金色に輝くスープに浸った野菜から、ホクホクとした白い湯気が立ち上っている。
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