もう、帰ってきたのかよ
カオルとヨシアキは「デート」という訳のわからないものに出掛けていった。にこやかに笑いながら。
俺はお留守番。
置き去りにされたみたいでちょっぴり悲しい気もするけれど、カオルとヨシアキの匂いのする部屋にいるだけで安全なんだということは俺でもわかる。
ひとしきり用意されたご飯と水を口にしたら、やることがなくなったのでカオルの匂いのするベッドで一眠り…と思ったけれど、昨夜しっかり眠っているからピクリとも眠くならない。
遊び相手もからかう相手も、一緒に出掛けてしまったのだからやることがなくてつまらない。だから、普段怒られてできないことをしてやろうと思った。
この家には玄関からリビングへと続く廊下の端に本棚が置いてある。
その上に登っては本が落ちるだの、棚が倒れるだのわめくヨシアキがうるさくて、いつもは我慢している俺は偉いなぁと思うんだけどさ。
今日こそはチャレンジ。
なんとも言えない程よい高さと、本が並んでいる隙間の感じとか、渡してある板に足を乗せやすそうだなとか、何となく「そそられる」んだよな。
カーテンはさ、爪が入っちゃって登りづらいし、網戸は破けるし……て、さっき破れちゃったんだよな。弱すぎるよ網戸って。
やばい、カオルに怒られるって思ってさ、慌てて窓から離れたんだけど、カーテンで隠しておけばいいかなって。
その時、びっくりして走ったからさ、ご飯のお皿がひっくり返ったんだけど、直せないからそばにティッシュを置いてみたんだ。多分、平気だと思う。
廊下から助走をつけてジャンプ。
壁に前足をつけてから後ろ足で蹴りつけて、斜めに飛び上がって棚に着地……と思ったら、滑って床に落ちた。
まあ、俺は猫だから身軽に体を捻って転ぶことはないんだけど。少しだけ前足が痛かった。悔しくて、毛繕いをしてから再びチャレンジしたんだけど、やっぱり駄目だった。
本棚がやたらツルツルしてるのが悪いんだ。爪がたたないんだもの。
俺は急激に本棚に興味を失ってベッドにのんびりすることに決めた。
前足でフミフミと寝る場所を定めると、鼻をシーツにすり付けるようにして体を伸ばした。
しばらくすると、ドアの向こうからカオルとヨシアキの声が聞こえて、鍵を開ける音がした。
「ただいま〜」と楽しげな声が聞こえたと思った直後、カオルはなにやら悲鳴のような声をあげて、ドタドタと部屋に走って入ってきたのだ。
「うわっ、なんだよこれ」
カオルだけじゃなくヨシアキまでもが騒いでいる。
うるさいな、折角眠くなってきたのにと思いながらベッドに丸まっていると、「シ、ラ、ス〜〜」と怒りの籠った声をあげながらカオルが寝室に入ってきた。
カオルの体からしょっぱい匂いがしてくる。
たまに魚からも同じ匂いがするから、これはきっと海の匂いってやつだ。海がどんなものかは知らないけどさ。
目を閉じてジッとしていると、焦れたようにカオルは俺の体を抱き上げ廊下へ連れ出した。
廊下にはたくさんの本が散乱していた。どうやら本棚が倒れたらしい。
ああ、そういえばと俺は眠る前に聞いた大きな音を思い出していた。あれは本棚の倒れる音だったのか。
「いたずらばっかりして」
カオルは俺の鼻先をピンッと指先で弾いた。かなり痛い。
それからギュッと抱き締めてきて、「怪我してなくて良かった」と小さな声で呟いた。
俺を放っておくのが悪いんだ。
ふたりが悪いんだからなと文句を言いながら、それから俺は本棚に登ろうとは思わなくなった。
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