腹がへった何か食わせろ


 窓の外で雀が頻りに鳴いているのが聴こえる。
 その鳴き声は俺の耳をこそばゆく刺激してくるので、気持ちがそわそわしてしまう。
 真っ黒だった外の色が明るく白くなってきて、今日も朝がやってくる。
 俺は投げ出していた体を起こすと、隣の部屋で寝ているカオルの枕元へ急いだ。雀の鳴き声を聴いたら猛烈に腹が減っていることに気づいたからだ。


「カオル、カオル、起きて〜腹へった。カ〜オ〜ル〜」


 俺はベッドに乗り上がり声をかけた。昨日、帰りが遅かったせいなのか、もこもこの布団にくるまったままのカオルは起きる気配がしない。横向きに眠っているカオルの顔は白くて薄茶色の髪が枕に広がって綺麗だ。まっすぐ伸びた鼻筋の下に桃色の唇があって、何だか美味しそうだ。
 ちょっとだけ、ペロリと舐めてみた。柔らかくてフニャッとしている。数回ペロペロと舐めてみたが、ぐっすり寝入っているカオルが目覚める様子はなかった。


 仕方ないのでリビングへ行き、昨日の残り物でもないかと漁ってみたが、綺麗に片付けられていて何にもなかった。
 どうしようかと思いながら冷蔵庫の前で佇んでいると、玄関からカチャリと鍵を回す音が聞こえてきた。
 俺は待ってましたとばかりに玄関へと急いだ。この家のもうひとりの住人のお帰りだ。いつもタバコやお酒の臭いを漂わせている奴だが、基本的に悪い奴じゃない。
 そう、だってこの俺を助けてくれた人だから。


「ただいま〜。おおお、シラス。お迎えしてくれるのか、ありがとうなぁ」
「ヨシアキ、腹へった〜」
「お前はいつもいつも俺を迎えに来てくれるよなぁ。可愛いな、カオルとは大違いだな。よしよし」
「頭、さわんなよ〜。それより、ごはん、ごはん」
「あ、お腹すいてるのか、よしよし、すぐ用意してやるからな」
「抱っこすんなよ〜、タバコ臭いんだよっ」
「あ〜いい匂いだな。癒されるぅ」
「フンフンすんなよ」


 コイツは俺の言葉を理解出来ているのかいないのか、俺の鳴き声を勝手に解釈して事を運んでいく。
 悪い奴じゃないんだ。ただ、コイツは馬鹿なだけで。「ごはん」だけはわかるみたいだが、俺の鳴き声も尻尾の動きも正確に読めた試しはない。
 細い体のわりに太くてたくましい腕に抱かれながら部屋に運ばれる。しょうがねぇな〜と思いながら、俺の尻尾はピンッとまっすぐに立ち続ける。


 ヨシアキは「夜のシゴト」というものをしていて朝に帰ってくる。だから俺の朝ごはんはいつもヨシアキに用意させる。綺麗なお皿にお水と、いい匂いのする缶々と少しのカリカリ。オヤツにはカツオブシ。
 俺は戸棚を開けることが出来ないから、ヨシアキに「開けろ」と命令して開けさせる。ヨシアキは未だに俺の好みがわからない。冷蔵庫から自分の食べるごはんを用意しながら、何故かそのおこぼれを俺に食べさせようとしたりする。


「ほ〜ら、シラス。お前と同じシラスだよ〜」


 手のひらに白くて小さな魚を乗せて俺の鼻先へ持ってくる。これは凄く旨いがしょっぱいから食べちゃダメだとカオルに怒られたヤツだ。でもひと口くらいならと舌を伸ばすと、パシーンと派手な音がして、目の前にいたヨシアキが頭を抱えて悶絶していた。


「だからシラスに人間の食べもんやるなって言ってるだろっ。病気になったら苦しむのはシラスなんだぞ。この馬鹿がっ」


 しゃがみこんでいるヨシアキの後ろにスリッパを握りしめたカオルが立っていた。テレビのバラエティー番組でもあるまいし、現実にスリッパで頭を叩かれる奴がいるなんて。ヨシアキは本当に馬鹿だ。
 そんなことを思いながらカオルを見上げて「おはよう、カオル」と朝のアイサツってやつをしたら、「シラス、お前もダメなんだからねっ」とお小言を食らってしまった。


「俺のせいじゃないよ。ヨシアキが悪いんだ」


 訴えてはみたけれど。
 結局、コイツラはラブラブだからすぐに仲直りしてしまうんだよ。ほらね、お帰りなんて言いながら抱っこしてるし。夫婦喧嘩は猫も食わないってね。
 …あれ? 何か間違ってるような気がするなぁ。ま、いいか。ごはん食べたらコイツラと遊んでやろう。

 今日も賑やかな1日が始まるのさ。


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