4月のオセロ


 ひとの心は不安定だ。

 いつだって好きな人の言葉ひとつでオロオロとしたり、天にも昇る気持ちになったり。
 不機嫌な顔を見れば、何かしてしまっただろうかと焦ったり、怒らせてしまったら、もうこの世の終わりのような気分になったり。
 それは相手の手の内が見えないオセロゲームのように、コマを置く場所によって状況が変わり、何回も何回も心をひっくり返される。

 今、まさに俺はどちらに転ぶのかわからない状況に陥っている。

 最近、仕事が忙しく午前様になることも多かった。3月はどの会社だって年度末になる。決算に追われるし、業績が思わしくなければ後で辛くなることがわかっていても、夏までの仕事を前倒しにして計上することだってあるのだ。
 だから帰りが毎日のように遅くなって、お前が用意してくれた夕飯を食べれなくても、お前にかまってやれなくても仕方がないと思っていたんだ。

「探さないでください」

 部屋に入った瞬間、違和感があった。
 灯りが点いていない。部屋が寒い。物音がしない。
 お前の「お帰り」がない。

 どんなに俺の帰りが遅くなっても、例えお前が寝ていたとしても、玄関の鍵をあける音がすれば、まるで飼い主の帰りを待ちわびる犬のように寝室から飛び出して来たくせに。
 自分も疲れているだろうに、小腹が空いただろうと手際よく夜食を作ってくれたくせに。
 独りじゃ寒くて眠れないって、着替える俺にじゃれついてきたくせに。
 紙切れを見つけた瞬間、体からへたりと力が抜けた。

 なんで?
 なんで、いないんだよ。

 俺は思い出したように携帯を取りだし、着信履歴からお前の携帯にコールした。
 決まりきったアナウンスが流れて、血の気が引いてしまった。

 どこいっちゃったんだよ。いつもバカみたいなやり取りして、俺が上だの下だの言ってるけどさ。ホントはどっちだっていいんだよ。
 お前が相手だから、いつも甘えてふざけて、言いたいこと言っちゃうだけなんだ。媚薬使われたのだって本当は怒ってないよ。
 他の誰でもないからだよ。お前だから。お前だけだから。どこいっちゃったんだよ。帰ってきてよ。もう我儘言わないから。帰ってき…

「ただいま」
「…へ?」

 テーブルに置かれた紙切れを握りしめて、ボロボロと涙をこぼしている俺の耳にありえない声が聞こえた。
 振り返ると、いつもと変わらない飄々とした風貌で立っているお前がいた。

「あ、泣いてる」
「…ど、ど、どこ行って、たん、…だよぉぉぉ」

 胸に広がる安心感から、だぁーっと涙が溢れてくる。

「コンビニ」
「…コ、ンビニ?」
「そう、タバコ切らしちゃってさぁ。ついでにお前の好きなおつまみとビール買ってきた」

 紙切れを握りしめたまま、俺はその場に固まっていた。
 何が起こっているのかわからない。涙もすっかり止まり、部屋の電気を点け、暖房をいれて、ビールを冷蔵庫にしまうお前の姿をぼんやりと目で追っていた。

「ちょっと効きすぎたかな」
「…な、何が」

 突然、クスクスと笑い出すお前の言葉に頭がついていかない。
 ソファーにドカリと座り、灰皿を引き寄せてタバコに火をつけると、こっちへおいでと手招きされたので訳もわからず素直にしたがった。

「さて問題です。今日は何日ですか?」
「今日…今日は4月1日です」
「正解。世の中では何の日ですか?」
「えーと、えーと、あ、エイプリルフー…」

 そこで俺はようやく気がついた。このバカ野郎が仕掛けたゲームに俺はまんまと引っ掛かってしまったのだと。
 さっきとは全く正反対の気持ちが沸き上がってくる。顔が真っ赤に火照っているのは、恥ずかしいからじゃないんだからな。
 隣に座ってニヤニヤと笑いながら、タバコを吹かすコイツが憎らしかった。

「ねぇ、あれホント?」
「何が!」
「我儘言わないから帰って来て〜って」
「お前、どこから聞いてたんだよ!」

 つい言葉が荒くなってしまうのはコイツのせいだ。俺は悪くない。断じて悪くない。

「可愛いなあ〜照れちゃって。でもさ、俺も寂しかったのはホントだから。おあいこね」
「何だよ急に。お前が素直だと気持ち悪い」
「だってさ、ほら見てよ」

 タバコを挟んだ長い指が指し示すのは壁掛け時計だ。時計の針はちょうど午前0時を過ぎたところだった。

「エイプリルフール終了だから」
「何なんだよもう」

 恥ずかしさと心を乱された訳のわからない感じに、ガックリと肩を落とす俺にお前が小さく呟いた。

「だから寂しかったって言ってるだろ」

 ドキッと心臓が跳ねるのがわかった。
 お前は照れくさそうにタバコを灰皿にもみ消すと、何か食べるか?と訊きながらキッチンへ向かった。


 俺たちの生活はまるでオセロゲームだ。
 黒と白のコマをどこに置くのか戸惑ったり、時には狙い澄ましたり。そうやってひっくり返して、ひっくり返されて、色んな模様を描きながらお互いの気持ちを画面いっぱいに広げていく。
 今日みたいに騙されたり、先には悲しいこともあるだろうけど、お互いがコマを出し合う限り、多分続いていくゲームなんだと思う。

 さあ、二人で夜食を食べ終わった後はどうしてくれようか。引っ掛かってやったんだから、何かご褒美でもくれないかな。俺はワクワクした気持ちになっていた。お前がいるだけで俺はこんなにも簡単に舞い上がってしまうんだ。なんて現金なんだろう。


「嫌いの反対はな〜んだ?」
「好き」
「じゃあ、好きの反対は?」
「嫌い…じゃないんだよね。クイズだから」
「うん、違う。俺は好きの反対が欲しいな」
「ん〜好き、好き、好き…あ、」


【fin】


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