春色TRAIN☆VALENTAIN
日曜日の街並みはいつもよりどこか緩い雰囲気を感じさせるものだ。
スーツを着ていないというだけで足取りもゆっくりになり、コートのポケットに手を突っ込んだまま和臣は最寄り駅の改札へ向かっていた。
青く晴れ渡る2月の空を見上げながらキンと冷えた空気を胸いっぱいに吸い込むと、体の隅々まで新しい自分になったような心地になる。
そして駅構内に入ると、辺りいっぱいに広がる甘い香りに気がついた。
目の先に新しく出来たらしいチョコレートショップが見えて、試供品を配っているのかたくさんの女性客が群がっていた。
ああ、もうそんな時期かと思いながら横目に通り過ぎようとすると、「よろしかったらどうぞ」とその店の従業員に声をかけられ思わず足を止めてしまった。
目の前に差し出されたチョコレートは艶々とした光沢があり、チョコレート好きな恋人の顔がふと脳裏に浮かび上がった。
和臣はひと粒、指先で拾い上げ舌に乗せてみた。自然な甘さと芳醇な香りが品質の高さを物語っているのがわかる。チョコレートなんてドイツに暮らしていた頃、嫌というほど口にしてきた。日本のチョコレートは甘過ぎて好きではなかったのだが、これは素直に美味しいと思えるレベルだった。
「お土産にひと箱、頂けますか?」
「はい、ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべて、可愛らしいピンクのワンピースに白いエプロンを着た従業員は店内へ走っていった。
戻ってきたその手に握られていた紙袋がこれまたピンクで男が持ち歩くには些か恥ずかしいものだったが、意外にも人という奴は他人のことなど見ていないもので、誰も可愛らしい紙袋を持つ和臣のことなど気にする様子もなかった。
ゆっくりと駅の階段を上りきると、ホームに沿って続く並木道が見えた。
春になればそこには色鮮やかな梅や桜、花水木が咲き誇り、行き交う人々の目を楽しませてくれる。
今はまだ固い樹皮に被われているが、その内側には春に噴き出す紅色がギッシリと詰まっているのだと知ったのは、とある有名な染色家のエッセイを読んでからだ。
美しい紅色を糸や布地に移すのには、花弁を使わず紅の詰まった枝を使うのだと。理系人間の性として何度となくその枝を折って内側を確認したい衝動に駆られたが、現在までどうにか理性が頑張ってくれている。
和臣は今一度、木々を見やった。決して太くはない幹に紅色の命を湛え春を待っているのだと思うと、その健気さに花見のばか騒ぎも悪いものではないと感じられた。
ホームに駅員のアナウンスが響いて電車が滑り込んで来る。
冷たい空気を切り裂いて風を巻き上げ、冬の白っぽい陽射しに輝く車体が和臣の目の前に止まった。
招くように開くドア。
電車は恋人の住む街へ向かって走り始める。その事実を今更ながら嬉しいと思った。
反対側のドアにもたれて、カタンコトンと音を鳴らす電車の窓から降り注ぐ光の中に、まだ遠い春の兆しを感じながら。
和臣はピンクの紙袋の持ち手をギュッと握りしめた。
I WISH
YOUR HAPPY VALENTINE.
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