箱庭 7
原宿というところは、くたびれた親父には似つかわしくない街だ。
雑踏に響く音楽も、行き交う人の多さと洋服のカラフルさも目に痛いほどの場所だ。
地方出身者の都会コンプレックスが刺激されるのか、上京当時からこの街に近づいたことはなかった。
来るべきではなかったもしれない……と、鈴木はその巨体を縮こませながらため息をついた。
しかしながら、彼の性格というか、職業柄の性分がこの街に足を運ばせたのだ。
行くしかないのかと諦めに似た境地で、鈴木は歩みを早めた。
一番賑やかな竹下通りを抜けて閑静な住宅街へと入っていく。目的地はかつて仕事で訪れた小さな寺だ。
今回は完全なる私用だが、仕事の内容も多少絡んでいた。
長年、仕事上で付き合いのあった刑事である杉田という男が行方不明になったのだ。
杉田は単独で行動することが多かったのだが、彼はこれから鈴木が向かう寺を訪ねた後、足取りが消え、数ヵ月経っても全く行方がわからない状態になっている。
それを聞いた時、嫌な予感が鈴木を襲った。
まさかそんなことは…と自分が杉田に話した冗談を思い出し身震いしたのを憶えている。
一年前、鈴木はこの小さな寺を訪ねた。
この場所で数人の男性が行方不明となる事件が起き強制捜査が入った時、鈴木は鑑識員として捜査協力していたのだ。
しかし、事件は迷宮入り。
行方不明の男性は見つからず、寺の住職に怪しいところも見つからず、捜査は一時中断の憂き目にあっている。杉田は事件を解明しようと頑張っていた。しかし、彼もまた消えた。
またしても強制捜査が入ったのだが、結果は同じだった。否、むしろ最悪のシナリオを迎える羽目になった
杉田の職権乱用が発覚し、寺から盗聴器が大量に押収されたのだ。
警察側もそれ以上の追及が難しくなってしまい、杉田の行方不明事件も、今では捜査が止まっている。
鈴木は一年ぶりに寺の門構えを見上げた。
本当に小さな寺だ。自分が歩き回ったら、体の重みで床を踏み抜いてしまうかもしれないと思うほど、何の変哲もない古ぼけた寺としか見えなかった。
けれど、この寺の奥にとんでもない庭がひっそりと息づいていることを知っている。
鈴木は意を決して境内へと足を踏み入れた。
相も変わらず涼玄は年齢不詳の若さを保っていた。
そして鈴木の顔を見つめると「以前よりもお痩せになりましたか」と柔らかに微笑んでみせた。
確かに、突き出た腹は以前より少しばかりへこんではいたが、まだまだ痩せたとは言えるレベルではなかった。
「相変わらず素晴らしい庭ですね」
「ありがとうございます」
奥の広間に通されると、目の前には一年前とは変わらない枯山水が広がっていた。
真っ白な敷石に刻まれた波模様が美しかった。
「あれから自分なりに庭について調べてみたんですよ」
「それは結構なことですね」
「はい。庭には色々なテクニックが施されていると知りました。広く見せる為に手前と奥では高低差あるとか、長方形に見えているけれど、本当は細長い台形であるとか」
「そんなこと聞いたことありますね」
「ええ、ですからね、色々な秘密が他にもあるんだろうなと思っているんですよ」
差し出されたお茶に頭を下げると、鈴木は透き通る緑色のお茶をひと口、口に含んでほっと息をついた。
「秘密…ですか」
「はい、秘密です」
「そんなもの、ありはしませんよ。警察の方々は散々、調べ尽くしていらしたではないですか」
涼玄は口振りとは違い、穏やかな顔つきで笑っていた。
確かに調べ尽くしたのだ。杉田がこの寺を出た後、山手線に乗り込み、新宿駅で消えたこともわかっていた。けれど、何か腑に落ちないのだ。
「杉田さんはいつもここで庭を見ていたのですか」
「はい。ここに座って……ああ、今ちょうど貴方と同じようにお茶を飲みながら、そうやって庭を眺めて…」
涼玄は、その日を思いだすかのように、すぅっと目を細めてみせた。
その瞬間。
鈴木は自分の視界がぐらりと揺れたような感覚に襲われ、慌てて頭を軽く左右に振った。
「どうかなさいましたか」
「いや、何か頭がぼんやりとしたみたいで」
「お疲れなのでは」
その後の会話はよく覚えていなかった。気づけば家のベッドに横になっていて、時間を確認するとあれからすでに四時間が経っていた。
いつの間に帰宅したのかもわからず、まるで何か夢のような時間を過ごしたような心地がしていた。
住職に失礼がなかっただろうか。それだけが心配だった。
また、あの寺へ行くべきだろうか。謝罪もかねて。
いや、行かない方がいいと、頭の奥で本能が叫んでいた。
けれど…と、鈴木は思った。
自分はあの寺へ行ってしまうだろう。杉田と同じように、自分もまたあの場所に行ってしまうんだろうと思った。
何故か、強く、そう思った。
【Fin】
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[目次]