夜明け 8


 一体何が起こるのか?
 いや、もう事は起こっているではないか。佐倉は一瞬胸に走った不安を押し留めた。

 アルスラーン・アリー・ハッダードとは何者なのか。
 国を愛し、仲間と共に自由を勝ち取ろうとしている人間、テロリスト集団のリーダー。
 その呼び名からは想像できないほど穏やかで、英語を操るクレバーな顔を持ち、自分を砲撃から守ってくれたジェントルマンだ。


「助けて貰ったからそう見えるんじゃないか」


 ミゲルは少し呆れた口調で佐倉に問いかけた。
 確かに欲目がないとは言い切れない。だが、この数日間で身に染めて感じることはある。
 アスランは物静かで、口を粗げることがない。その低めの声。水面に広がる波紋のようにゆっくりと耳に入ってくる話し方。
 それは多分、彼のリーダーとしての魅力のひとつなのかもしれないと佐倉は思った。


「穏やかで優しく見えてもテロリストであることに変わりはない。ファールーク旅団では彼のことを【眠れる獅子】と呼んでいたからな」


 今は眠っていても獅子は獅子。目覚めれば牙をむく猛獣。事が起これば…


「ミゲル、そんなに脅かさないでくれ」
「アユム、君はジャーナリストとしての本分を忘れているのか。我々の最終目的は無事に本国へ帰ることだ」
「勿論、わかってるさ。だからこうして…」


 佐倉は手元のカメラの後ろにある小さなボタンを操作した。


「今のデジタルカメラってのは便利だよな。ボタンひとつでカードのデータをパソコンに飛ばすことが出来る。これでもし自分に何が起こってもデータだけは確実に通信社に届く」
「確かにそうだが…」


 佐倉は確実にデータがパソコンに送られたことを確認すると、改めてミゲルに向き直った。


「我々はフリーだ。それは何故か、ミゲルだってわかっているだろ。通信社は命の保証をしてはくれないし、そこまで面倒みてくれない。命を落とせば自己責任、それがフリーの契約さ。そのかわり制約はないし、かなり危険な場所に入っていけるし成功報酬はでかい」
「身も蓋もないことを」
「それが現実、フリーを選んだ時から覚悟してるさ。でもまあ、俺だって死にたくはないけどね」


 佐倉はおどけて片目を瞑ってみせた。ミゲルは小さくため息をついた。


 目の前に広がる異国の地。
 埃っぽい空気に、白い煉瓦作りの家々が建ち並ぶ。突き抜ける青空に乾いた風。
 日本から遠く離れたこの地に何を求めてやって来たのだと尋ねられれば、佐倉はこう答えるだろう。


 現実を知りたかったのだと。


 アラブ諸国に興味を持ったと言うよりは、学生時代、初めて見た戦場の写真に投影された現実を実際に自分の目に焼き付けたかったからだ。


 忘れられない1枚の写真。
 高名な写真家の作品を目にしたのは、雨が生んだ偶然の出来事だった。


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