夜明け 4


 佐倉が初めてシリアの首都ダマスカスに降り立った時、その街の美しさに驚いたものだ。


 紛争地域と聞くと全てが砂漠であるかのように勘違いしがちだが、この国は北西が地中海に面した緑豊かな都会である。
 ダマスカスは紀元前三千年前から農耕が栄えていた街で、さらに遡ること五千年、紀元前八千年前には辺りに定住者がいた痕跡が今に残っているほどの古く歴史ある街なのである。


 真っ白な壁が青空を凌駕するかの如くそびえ立つ荘厳なモスクは一見の価値があるだろう。
 人々は優しく穏やかで、この国で長年紛争が続いていることが佐倉には俄には信じがたかった。
 しかし、シリア政権の懸案であるゴラン高原近くまで来て、佐倉は初めて今まで知らずにいた痺れるほどの緊張感を味わった。


 イスラエルとの国境付近に駐留する政府軍の居並ぶ戦車と、武装兵士のピリピリした空気感を肌で感じた佐倉はその時、カメラを構えることが出来なかったのだ。
 許可もなく勝手に撮影すれば、自分の身どころか同行した人間に何が起こるかわからないからだ。
 シリアとイスラエルの国境は未だに曖昧で、シリア政権はゴラン高原奪還を一番の目標としている。
 1962年のクーデター以来、シリアは非常事態宣言が出されたままで、法律の下そこにいる人間の安全や保護などないも同然であり、政府に逆らえば有無も言わさず連行され禁固刑に処されることもあるのだ。

 命の保証など何処にもない。

 シリア政権によって国内が戦争状態であると認められたのは近年であるが、シリアの歴史を翻って見れば常に弾圧と戦ってきた地域であることが理解できるだろう。


 シリアはかつてオスマントルコ帝国と呼ばれた国の一部である。
 さらに古代へ遡ればその肥沃な大地を巡り、メソポタミア、アッシリア、バビロニアなどにも占領され、第一次世界大戦以後はフランス、イギリスに統治されていた国でもあるのだ。
 シリア・アラブ共和国として認められたのは1946年。まだまだ独立国家としては若い国とも言えるが、現政権を打倒しようと活動するアラブ諸国のテロリスト達が暗躍する場でもあり、真の国家としての道程はまだ遠い状態であるのが現実だ。


 現政権打倒、イスラム教宗派同士の抗争、民族紛争、近隣諸国との領地争い、イスラエル、レバノン、ヨルダン、イラクなどの紛争地域に囲まれ、中国・ロシアが握る石油利権とアメリカとの経済紛争、…ありとあらゆる問題が複雑に絡み合い、その先に光は見えていないのだ。


 佐倉はアスラン達が活動する部隊について、細かく取材するところから始めていった。
 1983年、激化するテロリスト達を鎮圧する為に、政府がハマーという街を爆撃により焦土化した作戦を皮切りに(この作戦により罪もない市民が何万人も亡くなったのだ)、市民への水や食料、電気の供給などが制限され始めた。
 それは現在でも続いており、アスラン達は食料調達部門や武器調達部門、医療部門、情報・外交部門など幾つかの専門部隊を作りながら活動していることがわかった。


 佐倉に差し出された一杯のコーヒーも、実はとんでもなく貴重な代物だったのだ。
 パン一枚どころか小麦すら手に入らない状態の中で、縁もゆかりもない外国人にそこまでしてくれたアスラン。


(この場で死ぬわけにはいかない)


 心に堅く誓った瞬間だった。


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