夜明け 1


 シリアでジャーナリストが死んだ。
 年若い法人女性だ。


 佐倉は眉根を寄せた渋い顔つきでパソコン画面を見つめていた。


「プロパガンダだろ?」


 背後から覗き込むようにして同僚であるチャールズが呟いた。


「そう思うか?」
「疑えばきりがないけどね。シリアは確か親日国家のはずだから敢えて問題を起こすとは正直思いたくないさ。実際、政府軍が殺ったのか、反政府軍が殺ったのかわからないけれど、シリアの現状を大々的に取り上げてもらうには最適なニュースだ」
「確かにな」


 佐倉は画面に踊るシリアの惨状と、白い布キレを被せられている遺体らしき写真に心が痛んだ。
 紛争地域に赴くというだけでも大変な事だが、犠牲となったのが年若い女性ともなれば世界中から同情の声も強くあがるだろう。
 これがプロパガンダなら大成功だ。
 命を落とすかもしれないことはジャーナリストなら覚悟しているはずだ。しかしながら、プロパガンダの為に行動を共にしていた反政府軍に利用されてしまったとしたら、それは同情よりも深い悲しみを感じるのだ。
 かつて、佐倉も紛争地域にカメラを担いで乗り込んでいった人間だ。毎日毎日、来る日も来る日も、生きるか死ぬかばかり考えていたら心が殺伐としてくることを身を持って知っている。だからこそ現地での協力者が大切な存在になるのだ。でもその協力者に裏切られたとしたら。あまつさえ、殺されたとしたら。
 そこまで考えて、佐倉はふうっとため息をついた。


「まあ、難しい顔してないで、これでも飲めよ」


 差し出された紙コップからコーヒーの馥郁とした薫りが立ち上っている。
 小さく礼をのべると佐倉は心を落ち着かせるようにひと口、ゆっくりと飲んだ。


「自分達の目的を果たす為に誰かを殺すのは正義と言えるのか?」
「今更な質問だな。正義とは大義名分に過ぎないのさ。全てが正義の名に於いて免罪符になる。それが戦争だろ」
「頭ではわかってるけどな。誰かを殺さなきゃ生きていけない状況に追い詰められてしまうなんてのは狂ってる」
「その狂った状態を作り出しているのが本人達だから、どうしようもないだろう?」


 チャールズは長い両腕を大げさに広げて肩をすくませてみせた。どんな仕草をしてみても品良く見える男だ。
 透き通った青い瞳に戸惑っている佐倉の顔が映っている。


「神話の時代から人間は争ってばかりだ。水、肥沃な大地、美しい女性に金銀財宝、今は石油利権か…。死ぬまで終わらないさ」
「死んだらそれこそ終りなのに?」
「パラドックスだな。俺が思うに人間は滅亡すればいいんだよ、そうすれば世界中の問題は簡単に解決する」
「だったらチャーリー、君から消えるかい?」


 佐倉が冗談っぽく言葉を返すとチャールズはしばらく腕を組んで考えた後、こう答えた。


「まだ死にたくはないな」
「だろ?」
「だってさ、俺はまだ自分の口に合うラーメンに出会っていないから。それに素敵な日本人女性と結婚して日本に帰化する予定だからさ」
「何だよそれ。結局、食欲と下半身か」
「大事なことだよ」


 チャールズは茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。
 ふたりは頻りに笑った後、通常の業務へと戻っていった。


 カメラを担いで戦地へ乗り込んでいた日々から、もう何年が経ったのだろう。
 土埃にまみれながら、毎日、命を削るように現地を取材していたあの頃が嘘のようだ。
 現在は東京の一等地に建つビルの中にある快適なオフィスで、安心安全な状態でパソコン画面を覗いている。
 画面の向こうに広がる戦場は現実で、そこで暮らす人々は命の危険に晒され明日をも知れぬ状況だと言うのに、こんな場所で戦争を語るのは滑稽だ。


「随分と遠くへ来てしまったんだな」


 佐倉はあの日の自分に想いを馳せた。


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