HOPE 1


 自動販売機でタバコを買おうとして、身分証明のカードを持っていないことに気づいた。
 ああそうか。タバコも気軽に買えるものではなくなりつつあるのかと思いながら、近くのコンビニに立ち寄った。
 平日の昼過ぎは忙しい時間が落ち着いたところらしくお客もまばらで、やる気のなさそうな店員から手渡された小さな箱をコートのポケットに滑り込ませる。


 何を持っていったらいいのかわからなかったから、あいつの好きなタバコにしただけでそこには何の意図もなかった。
 時折、首元を撫でていく冷たい風に背中を丸めながら見知った路地を歩いていく。
 商店街を抜けて静かな住宅街へ入る。さらに歩いていくと車が一台通れそうなくらいの道に出て、さらにその奥。急に狭まった道の向こうに目的の場所がある。


 普段は誰もが寄り付きもしない場所。
 古びて黒くなった木の狭い門をくぐり抜ける。空は青く晴れているのに、この場所が鬱蒼として暗く感じるのはそこに並んでいるモノのせいかもしれなかった。
 どこからともなくお線香の香りが漂ってくるここは、たくさんの墓石が立ち並ぶお寺だ。


 夏樹は辺りに目をさ迷わせると、少しだけおぼつかない足取りでとある家のお墓の前に立った。
 黒い御影石で出来た立派なお墓は、青空から降り注ぐ光を反射して艶々としていた。そっと手を伸ばして石に触れると、それは固くつるりとしていて、きっと自分が想像するよりもずっと高価なものなのだろうと思った。


 ポケットに突っ込んだままの左手から小さなタバコの箱を取りだしフィルムを剥がす。蓋を開けるとタバコ独特の煙ったような香りが鼻についた。
 キチキチに綺麗に並んだタバコを指先で引っ張り出し、フィルターを口にくわえて火をつける。少し吸い込んだだけで喉に強烈な刺激がきて、夏樹は激しく咳き込んだ。


 そう、夏樹はタバコなど吸ったことがないのだ。
 しかし、激しく咳き込み、涙目になりながらも夏樹はタバコを口から外そうとはしなかった。
 胸の奥がぎゅうぎゅうと押し潰されそうなほどに苦しかった。
 けれど、その苦しさはタバコのせいばかりではなかった。


 散々咳き込んで、どうにか一本のタバコを吸い終えると、夏樹は残りのタバコを墓前に供えて軽く手を合わせその場を後にした。
 頭の中がフワフワとして現実感がなかった。
 周りの風景など気にもせず歩いていくと、自然に足は自宅へと向かっていて、気づけば見慣れたアパートの階段前まで来ていた。


「よぉ」


 いきなり上から聞こえてきた声に顔をあげると、階段を上りきったところから幼馴染みの達也がこちらを見下ろしていた。


「どこ行ってたんだよ」
「あ、うん、野暮用」
「野暮用?」
「うん」


 何となく言葉を避けながら階段を上り、ドアの前での鍵を探していると、ポケットからポロッとタバコの箱が落ちた。
ああそういえば、あのタバコは二個でワンセットだったっけ、忘れてたなと思いながら拾い上げると、後ろにいた達也が不思議そうな声をあげた。


「お前、タバコ吸わないだろ」
「うん」
「何で持ってんの?」
「うん、だからさ、野暮用でさ」


 言葉を濁した夏樹に、達也はそれ以上何も言わず、寒いから早く部屋に入れてくれと騒いだ。
 そんなに騒ぐほど寒いかと呆れながらも、夏樹はいつも明るい雰囲気の幼馴染みの訪問に心が軽くなっていた。


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