春の舟 7
「あっけないものですね」
棗はすっかり姿を変えてしまった日記帳を見下ろしながら呟いた。
「何でこの日記帳を燃やそうと思ったんですか? 親の遺品ならしまっておけばいいのに」
棗は男の隣に腰を下ろすと、黒い灰になった日記帳に指先を伸ばした。
ほんのりと温かいソレは触れる間もなく崩れて、風に飛ばされていった。
「この日記帳が母に見つかってしまわないようにと思ったからですよ」
男は棗の言葉を返した。
「父の遺品を勝手に処分したら怒るに決まっています。けれどこれだけは母に見つかったら駄目だなと。日記の中身を見た訳ではないですけどね、これだけは父の心の想い出だとわかったので私が何とかしないとと思った次第なんです」
「それで燃やそうと?」
「はい。もう父はこの世にいないのに、父に対して何か疑念的なものを感じてしまったら母が可哀想ですし、父も浮かばれません」
「内容を知らないのにそこまでわかるんですか?」
「…直感っと言うか。本棚の裏側にこの写真と一緒に隠してあったんですからね。見つかったら困るくらい大切なものだったんでしょうね。…あなたもわかるでしょう? これが何を意味するのか」
男はどこまでも穏やかな口調で話し続けた。
誰だって親の秘密など詳しく知りたくはないだろう。偶然知ってしまったとしても、それが自分の想像を遥かに越えるものだとしたら知ってしまったことを後悔するかもしれないし、親に対して憎しみや悲しみを感じてしまうこともあるだろう。
この男は日記帳を見つけた時、何をどう感じたのだろうか。棗はふと疑問に思いそのままを口にした。
「…どう言ったらいいんでしょう、まさかって感じですかね。父と母はお見合い結婚でしたけど、子供の私から見てもそれなりに幸せな家庭を作っていたと思うんですよ。言葉にすることはなくてもお互いを大切に思っていたのは事実でしょう。…でも」
男は一旦、言葉を切るとフウッと息を吐き改めて話を始めた。
「でも、この日記帳が出てきてしまった。中身を見たいと正直思いました。でも鍵はないし、毎日仏壇に手を合わせる母の姿を見ていたらね、処分するのが筋だろうと思ったんですよ。これからを生きていく時間の方が長いのに父の過去をほじくり返しても意味はない。今までの人生が確かに幸せだったのならそれでいいじゃないかと思ったんですよ」
男は話しながら風に煽られて飛んでいく灰を目で追いかけていた。
棗はいつも困った顔をしながら、結局は誰かのために厄介事を引き受けてしまう啓介叔父さんのことを思い出していた。
「幸せ……だったんでしょうか?」
「父と、あなたの叔父様ですか?」
「はい」
「幸せだったと思いますよ。それは写真を見ればわかるでしょう?」
確かに写真の中のふたりは肩を寄せ会い、屈託のない笑顔を見せていた。
それはきっとこの秘密の場所があったからに違いなかった。
それから写真のふたりに何が起こったのかは分からないけれど、何十年も経って、肉体をなくしても今またこうして出逢えるというのは運命的と言ってもいいだろうと思った。
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