春の舟 4


 潮風に長年晒されたせいで赤く錆び付いた鎖が、棗の目指す場所まで細く長く続いている。
 指先で触れるとザリザリとした感触と共に赤黒い錆が剥がれ落ちていく。
 かつて叔父もこの鎖に掴まりながら、この場所に足を運んでいたのだと思うと棗の胸は不思議な暖かさに包まれた。


 そして、階段とは言い難い岩場を削っただけの石段を上りきるとそこは平たいスペースが広がっており、目の前には青く光輝く海が見えた。
 足元には海鳥の羽根が散乱し、潮風に煽られてはフワフワとどこかに飛んでいく。


 やっとたどり着いた。

 棗はふうっと息を吐くと後ろを振り返った。
 ボートを降りてから例の男はずっと棗の後ろを付いて来ていたからだ。


「あの、訊いてもいいですか?」


 スーツの男は口の端をくいっと上げて見せたかと思うと、意外にも柔らかな声で「何でもどうぞ」と答えて笑顔を見せた。
 棗はその笑顔に一瞬ドキリとしたのだが、気を取り直して口を開いた。


「あなたも僕と同じ目的でここに来たんですか?」
「同じ目的……といいますと」
「僕は亡くなった叔父に頼まれた物をここに持ってきたんです」
「亡くなった…? ああ、そうですか、亡くなったんですね」


 男は何か小さく呟くとスーツの胸元を探り、一冊の手帳らしきものを取り出した。


「私はこれを処分するためにここに来ました」
「それは?」
「日記帳ですよ。これは父親の遺品なんですが、鍵が掛かっていて中身は確認できない代物です。それから―」


 男は続けてもうひとつ、ポケットから何かを取り出した。


「この写真、ご存知ですか?」


 男はそう言いながら棗に古ぼけた一枚の写真を差し出した。
 棗は訝しがりながらもそれを受け取り、色が抜けて白っぽくなった写真に目を落とした。
 そこには二人の男性が写り込んでいた。場所はどうやらこの岩場らしいことがわかる。楽しそうに笑いながら肩を組み、仲の良さそうな若者ふたりの左側の人物に見覚えがあった。


「これ、啓介叔父さんだ」


 いつ頃撮られたものかは分からないけれど、確かにその笑顔には面影があった。
 そして右側で笑う若者は目の前にいる男に良く似た風貌をしていた。


「右に写っているのは私の父です。写真の裏側にある走り書き、気づきましたか?」


 慌てて写真を裏返すとそこには「啓介と共に、あの場所で」と青い文字で書かれてあった。
 間違いなく写っているのは叔父とこの男の父親なのだ。


 けれど…と、棗は思った。
 何故、自分が叔父の関係者なのだとわかったのだろうか。そもそも、今日この場所に来ることがわかっていたのだろうか。
 長時間、バスに揺られている間に話しかけることも出来たはずだろうに。


 多少の気味悪さを感じながら写真を凝視したままの棗に男はおずおずといった風に話し始めた。


「誤解しないで下さいね。今日、私がここへ来たのは偶然です。でもバスの中であなたを見かけた時、私は本当に驚いてしまって言葉が出なかったんですよ。ひと目であなたが啓介さんの親戚の方だとわかりましたから」


 男は淡々と言葉を紡ぎ続けた。


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