春の舟 3


 やわらかな陽射しが青い水面に反射して光っている。


 ボートは滑るように海面を移動していき、潮風に体を包み込まれる。
 爽やかな風は棗の髪を撫で白いシャツの隙間をすり抜けていく。長時間バスに揺られ、疲れていた体にそれは心地良かった。
 スーツの男は棗の少し後ろに座り辺りを眺めている。棗は後方を気にしつつも前を向いていた。
 手にしたバッグからカタカタと音が聞こえる。やっとあそこへたどり着くのだと叔父も喜んでいるのだろうか。
 棗は今一度、バッグを胸に抱え直した。


「兄さん達は東京から来なさったのじゃろ?」
「はい、そうです」


 人懐こい笑顔で声をかけてきた漁師に棗が答えると、後ろの男も小さく頷いたのがわかった。


「今日は朝早くなぁ、海が荒れてボートは出せんと思っていたのじゃが、急に天気になりよった。長年漁師をやっとってなかなかこんな日はないからなぁ。兄さん達は運がええよ」


 豪快に笑い、日に焼けた逞しい腕を器用に動かしながらボートを操っている姿に、漁師としてのプライドが垣間見えた。


 本島からボートで10分ほどの小さな島(岩場と言ったほうがいいかもしれない)は、もうすぐそこまで迫っていた。
 海面からいきなり飛び出したような黒い岩場。緑は高い場所に申し訳程度にあるだけで、突き抜けるほどの青さを広げた空に無数の海鳥が鳴きながら飛び交っている。その羽の白さが青空に反射して光っていた。
 ここが叔父の秘密の場所なのだ。あと少し、もう少しでたどり着く。棗ははやる気持ちを抑えつつ、ボストンバッグの持ち手をギュッと握りしめた。


 大きな期待感と微かな緊張で体を縮こまらせている棗をスーツの男は優しげに見つめていた。
 そして、何か言いたげな仕草をした後、思い直したように小さく首を横に振って視線を海に投げた。
 しばらくすると、ボートは岩場のなだらかな場所に滑り込み止まった。


「さぁてと、到着だんなぁ、足元に気をつけてな」


 漁師はヒョイとボートから飛び降りると、棗と男に手を差し伸べて注意を則した。
 棗はボートの縁に掴まりながら、そっと足を岩場に下ろした。
 岩場のザクザクした硬い感触がスニーカーを通して伝わってきた。スーツの男は軽やかにボートから飛び降り、漁師にお礼を述べていた。
 棗はその場から辺りをぐるりと見渡した。海上の暖かさとは違ってひんやりとした空気が広がっている。
 見上げた岩場の高さや、その荒々しい姿を目で追いかける。色がないせいか何となく薄暗く、こんな場所が叔父にとって大切な場所だったことが俄に信じられなかった。


 海鳥の鳴き声がなお一層高くなった。きっと自分達のテリトリーに入ってきた珍客を警戒しているのだろう。
 大丈夫だよ、用事が済めばすぐに帰るから。
 棗は小さく呟くと、用事が済むまで待っているという漁師に頭を下げて歩き始めた。
 スーツの男も何故か棗の後をついてきた。


 叔父の秘密の場所は、ここから少し上にあがった岩場の拓けたところ。
 上に行けるように階段らしきものと、鎖が張ってあると聞いていた。
 後をついてくるスーツの男を不思議に思いながらも、棗は目的の場所を目指した。


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