春の舟 2



 のんびりと田舎道を走っていくバスがようやく停留所らしき場所にたどり着いた。


 何の目印もなく、簡素な屋根で囲われたベンチがポツンとそこにあるだけだった。長年、潮風に晒されていたせいなのかベンチは錆び付き赤黒く変色していた。
 棗はバスの運転手にボート乗り場の場所を確認すると、お礼を述べてバスを降りた。その時、バス後方に座っていた男性も一緒にバスを降りた。


 地元の人間と言うには違和感があった。ダークグレーのスーツを着込み、磨き込まれた革靴はどこかのブランドもののようで、辺りに何もない島の風景から浮き上がって見えた。
 ふいに海側から強い風が吹いて、棗は思わず声をあげて前屈みに身構えてしまった。
 近くにいたその男も同じような仕草をすると、棗のほうを向いてフッと笑って見せた。


「あの、……」


 その優しげな笑顔に、気づくと棗は声を掛けていた。


「地元の方ですか?」
「いえ、違いますよ。多分、あなたと同じく東京からここへ」
「そうでしたか。ではここへはお仕事か何かで?」


 棗がゆっくりと歩き始めると、その男も同じ道を歩き始めた。
 バスの停留所から海へ向かってまっすぐ歩いて行く途中にボート乗り場の受付があると教えて貰っていた。
 棗はザクザクと硬く乾いた音をたてる砂地を踏みしめながら、次第に強くなっていく潮の香りを感じていた。


「仕事ではなく個人的な用事でここまできたんですよ。あなたもそうなんでしょう?」


 まるで棗が何の目的でこんなところまで遠出をしてきたのかわかっているような口振りだった。
 少し戸惑いながらその男を見上げると、焦げ茶色の瞳に見つめ返されて上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。


「ああ、あそこが受付ですね」


 男が指差す先に古ぼけた白い小屋が見えた。
 受付に人は居らず、ガラス窓に手書きで連絡先が記された紙が貼り付けてあるだけだった。


「あの、もしかしてあなたもここからボートに乗るんですか?」


 棗は今更ながらの質問を投げ掛けた。


「はい。ここからあの島へ行くにはボートに乗るしかないと聞いてきましたから」
「え、でも……」

 棗は言葉を濁した。
 あの島は叔父にとって秘密の場所だと聞いていたからだ。
 島というには小さく、海鳥の繁殖地くらいにしかならないような岩場だらけの島だ。地元の人間も滅多に近づかないというあの場所に、この人も用事があるというのだろうか。


 男は連絡先を確認するとさっさとその場で電話をかけ、10分後には地元漁師が小さなモーターボートで迎えに来てくれる算段になった。
 あなたもあの島へ行くのでしょうからご一緒しましょうと言われ、棗は断る理由を見つけられずに頷くしかなかった。


 男はボートが来るまでの間、タバコに燻らせながら海を見つめていた。
 スーツの裾が潮風に煽られて大きなシワを作っていたが、男は意に返さず煙を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返していた。
 日に焼けた赤ら顔を崩して、陽気な雰囲気で迎えに来てくれた漁師のボートが見えるまで、棗はボストンバッグを抱えたまま何とも居心地の悪い思いをしていた。
 そして、二人を乗せたボートが唸るようなモーター音をさせながら動き始めたのは、時計の針がちょうど昼の12時を回ったところだった。


 棗が朝早く目覚めてから、すでに6時間が経過していた。


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