Chibi 7


「あら、川上さん、お久しぶりじゃないの」


 落ち着いた雰囲気のドアを開けると店内は程ほどにこんでいたが、うるさいほどではなかった。
 あいもかわらず、ママはたくましい体つきでしなを作りながら、カウンター席へと川上を呼び寄せた。
 例の地上げ屋はこの辺り一帯を買い上げたのは確かなのだが、何故かこの店だけはそのままに残されたのだ。その理由について川上は何も訊こうとはしなかった。


「色々あってさ」


 川上はほがらかに笑うママに言葉を返しながら、いつものカウンターの隅に腰を下ろした。
 今日は長居するつもりはないからとジントニックをオーダーすると、目の前にあった灰皿を引き寄せ左胸のポケットを探った。
 …が、そこに目あてのモノはなく、川上は自分がいかに慌てていたのかに気がついた。


「よかったら、あたしの吸う?」
「ああ、悪い。ありがとう」


 差し出されたタバコを素直に受けとり火を点けると、川上はいつもとは違う煙の味に舌が痺れるのを感じた。


「すごい味だな」
「マズイって言いたいの? これ高いんだからね。でもさ、ヘビースモーカーがタバコ忘れるなんて珍しいじゃないの。何かあったの? それともそんなに慌ててうちの店に来たかったのかしらって勘違いしちゃうわ」


 まだ何も話していないうちから、ママはさりげなく鋭い言葉を投げてきた。長年、接客業に携わってきたのは伊達ではないとわかる瞬間だ。


「いや、実はチビがさ…」
「え、チビ? 川上さん、チビに会ったの?」
「……え? 会うって、それ、どういう…」


 ジントニックで喉を湿らせてからおもむろに口を開くと、ママは意外な物言いをしてきた。


「川上さん、もう酔ってるの?」
「いや、酔ってないよ」
「酔っぱらいは酔ってないって言い張るからね。何で今さらチビの話なの? あのこがいなくなって結構経つじゃない。あたしに何にも言わずにいきなりいなくなったって話したでしょ。忘れちゃったの?」


 ママの口から飛び出してくる話に、川上は呆然としながらも耳を傾けていた。
 チビは確かにこの店にいたのだが、ある日突然いなくなったのだと。
 地上げ屋の話を店でした数日後、気づいた時には少しの荷物と共に消えていたらしい。もしかしたら自分に気を使って姿を消したのかもしれないとママは悲しそうに俯いたのだ。


 川上は話を聞きながら、あの日の自分を振り返った。
 店を畳むことになった場合、チビの面倒をどうしようかと困っていたママに、うちに来ればいいと提案したのは自分だった……はずだ。
 あの日、確かにそう告げてチビを引き取った……はずだ。
 そしてその後、チビとの暮らしを報告していたはずだ。

 耳の奥でキーンと耳鳴りがした。


 あの日、自分は何か違う行動をとっていたのだろうか。
 ママは嘘をつくような人間ではない。バカ正直さ故に苦労を重ねてきた人間だ。だからこそ酔っ払い達の気持ちに寄り添うことができる人なのだとわかっている。


 では、あの日の自分は一体何を。
 ママと交わした会話はどこまでが本当なのか。


 背筋にゾクリと悪寒が走る。
 酔ってないと言いながら、ひどく酔っていたかもしれない自分の行動に、川上は忽ち自信をなくしてしまっていた。


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