Chibi 3


 いつの頃からだったろうか。
 二丁目界隈にあまり見かけたことのない青年がふらつき始めたのは。


 細く華奢な体つきに、すんなりと伸びた手足。さらさらと手触りの良さそうな茶色の髪に、仄白い首筋。
 ふらふらと心許ない様子で歩く姿に、ある種の人間は加虐心を煽られ、ある種の人間は庇護欲を掻き立てられた。
 青年は求められるままに、あちらこちらへと寄り付き、日々を過ごしていたのだが。そんなある日、トラブルが起こった。


 路地裏でその日の食事と寝床を得るために身売りを繰り返す男たちに絡まれ、青年はズタボロの雑巾のような状態で青いゴミ箱に投げ捨てられた。
 それを偶然見つけたのがバーを経営するママだったのだ。
 ママは気を失い動けずにいる青年を無言で担ぎ上げると、店の二階にある部屋で彼を身綺麗にしてから病院へ連れていった。


 東京、新宿、二丁目。


 流れ者や地域に馴染めず逃げ込んでくる者が多数息づく街だ。様々な事情を知りつくしている医者は傷だらけの青年を一瞥した後、余計なことは何ひとつ言わずただひと言「安静に」と呟いた。
 それから暫くしてのこと。ママは店のカウンターの内側に彼を座らせ、接客とは言えない程度の仕事を与えた。恥ずかしそうに俯き、たどたどしく話す彼が笑顔が見せるようになった頃には「チビ」という愛称が定着し、店にとってもなくてはならない存在へと変わっていった。


 その頃、すでに店の常連だった川上は、儚げに笑うチビのどうしようもない可愛さに少しずつ少しずつ心惹かれていた。
 あの白く華奢な存在を自分だけのものにして、誰にも見せず部屋に閉じ込めてしまいたい。自分だけの名前を呼び、自分だけを見つめるチビを想像してはそっとため息をつく日々を過ごしていた。


 そして、そのチャンスはいきなり訪れた。


「困ったことになっちゃったのよ」


 店の閉店時間が差し迫る夜明け頃。
 ママは逞しい肩をすぼませながら、まだ店に残っていた川上にぼやき始めた。


「困ったことって?」
「うん、大きな声じゃ言えないんだけどね」


 ママは声のトーンを低くすると、川上の耳元に手をかざしながら囁いた。


「地上げ屋がね、この界隈にも来てるの」
「…それって」
「うん、あたしは店を借りてる身分だから文句は言えないし、それは仕方ないことだからいいのよ。ただね、あたし独りならどうとでも生きていける。また店だってやろうと思えばやれるわ。でもチビは…」


 そこまで口にすると、ママは切なそうに目を伏せ黙り込んでしまった。
 店の二階に居着いているチビのこれからを考えなければならない。けれどチビの身元ははっきりとはわからず、独り立ちさせたくともできない状態にあった。


「あたしも中途半端にあのこを投げ出したくないのよ。でも店がなくなればあのこを雇えないし、他の店に紹介するったって、あのこじゃ無理。潰されてしまうわ」


 もうどうしたらいいのかと、身をくねらせて悩んでいるママに川上はこれ以上はないと思えるほどの笑顔を見せて、こう提案したのだ。


「それならチビはうちにくるといいよ。部屋なら余ってるから」


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