星降るいつかの夜のこと10


 原の実家の目の前には小さな民俗資料館があると聞いていたので、青はそこを目指した。
 街の中心部に入ると、道路の真ん中に林檎の樹が植えてあるスペースが目についた。今は時期ではないが、5月には白い花が咲き乱れ街を爽やかな香りでいっぱいになるのだという。
 「いいですね、是非伺ってみたいです」と答えると、原は目尻に笑い皺を浮かべて嬉しそうにしていたことを青は思い出していた。


 タクシーが目的の場所に着くと、青は運転手にお礼を述べて見知らぬ土地に降り立った。
 ここが原の育った街。そう感慨に耽りながら辺りをゆったりと見渡した。
 特別な何かがあるわけではなかった。東京から数時間離れた郊外の緑豊かな静かな街だった。居並ぶ家々はがっしりと頑丈そうな造りで、この街で生まれ育った人々が代々大切に守り続けてきたのだろうと推測できた。
 東京を出る時はまだ高かった陽はもうとっくに西に沈み、暮れなずんでいく長野の空にチラホラと星が見え始め、それは遠く山肌に及ぶと更に光を強くしているように感じた。
 青は携帯を握りしめると原の番号をコールした。こんなに胸が締め付けられるほどドキドキしながら電話をかけたことなど今まで一度もなかった。


 もし留守番電話に切り替わったら、コーヒー豆のお礼と直接会ってお話がしたいと言おうと思っていた。
 深呼吸をしながら、青は呼び出し音が鳴るのを聞いていた。携帯を耳に当てながら、ふと空を見上げて青は「…あっ」と短く声を上げていた。
 さっきまでほんの少ししか見えなかった星が、頭上にたくさん広がっていたのだ。
 それは東京で見ることは叶わないほどの数で、降り注ぐという表現がぴったり当てはまる情景だった。


「はい、原です。…もしもし、もしもし……あの、青くん、ですよね?…もしもし?」
「…あ、すみません、原さん、青です。こっちの星が凄いからぼうっとしちゃって…」
「星が凄いって、東京で? どこらへんかな。まさか長野いるとか言わないでよ」
「あの、そのまさかです」


 電話の向こうで驚いている原の声を聞きながら、青は何故だか笑いがこみ上げてきた。
 なんだ、簡単なことじゃないか。人間同士の付き合いを軽く扱うのはどうかと思うけれど、必要以上に重く扱うこともないのだ。
 耳元で「どこにいるの? 迎えに行こうか」と訊ねてくる声に、素直に今すぐ来てくださいと答えたくなった。


 資料館の目の前に建つ家は、古びてはいたが黒っぽく経年変化した木の色が歴史を物語っていた。
 その木戸から慌てたように原が飛び出してくるのだろうと思うと、ポワソンで変な物言いをしたあの常連客も、いつも馴れ馴れしく触ってくるマスターも、控えめに接客してくる誠人も、騒がしい他のお客たちも、 みんなみんな愛おしいと思えた。


 原から「どうしたの、こんなところまで」と訊かれたい。そして「あなたを追いかけて来たんだ」と答えたい。
 原のことをもっと知りたいと思った。いろんなことを教えて欲しいとも思った。
 もし原が長野に帰ってしまうとしても、こんな風に行動すれば会うことが出来るんだから。


 青はもう一度、空を見上げた。
 刻々と流れていく時間に空は更に輝きを増していくようだった。
 いつかこの日を懐かしく思い出す時が来るのだろうか。そんなことを思いながら。


 青は今まさに開こうとしている木戸をじっと見つめていた。



 ―その後のエピソード。


「その1」
原さんとお兄さんの年が親子ほど離れていて、お兄さんの息子と原さんが同い年だとわかった。
(跡継ぎは居たわけだ)

「その2」
原さんは田舎へ戻らないとわかった。
(誠人の早とちり)

「その3」
ポワソンで青に絡んだお客は本当に原さんと仲良しだった。
(単に口が悪いだけの人)

「その4」
原さんはゲイではなかった。
(喜ぶべきなのかどうか青は軽く悩んだ)



【Fin】


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