星降るいつかの夜のこと 4


 まとわりつく松村を払いのけながらカウンター内の誠人と話をしていると、厨房奥から何ともいえない良い香りが漂ってきた。スパイシーなカレーの香りだ。
 先ほど、原というお客が抱えていた大きな鍋の正体はこれかと思っていると、目の前にカレーの入った皿と薄くスライスして焼き目のついたバケットが差し出された。
 いつの間に厨房から出てきたのか、原が人の良さそうな笑顔を向けながら「良かったら味見をしていただけませんか」と声をかけてきた。


「え、あの、味見…って」
「原ちゃんのカレーね、すっごく美味しいから食べてごらん」
「いや、あの、ちょっと待ってよマスター。俺、知らない人からこういうことされても困るんだけど」


 青は優しそうに笑う原にチラリと視線を投げながら、焦ったように松村に訴えた。
 この原という男は悪い人ではなさそうだが。こういうことをされるのはあまり好きではない。せめて皿を持ってくる前にひと声かけて欲しかった。そうすれば断れたのに。お腹がいっぱいだからとか何とか言って。
 青はよく来る店で他のお客と馴れ馴れしく付き合うこと自体、あまり好きではなかった。


「ああ、ごめんなさい。嫌な思いをさせるつもりはなくて。…常連の皆さんにはいつも味見をして戴いているんで、つい」


 どうしたらいいのかと困っていると、原がすかさず頭を下げてきた。少し眉毛が下がって悲しそうに見えた。参ったな。だから嫌なんだ他人と仲良くするのは。傷つけたくないのに。傷つけるつもりもないのに。ああ、めんどくさい。めんどくさい。めんどくさい。
 青はため息をついてから、おもむろに言葉を続けた。


「ああ、もう。…あのね、あなたを傷つけるつもりはないです。ただ、こういうの、好きじゃないんですよ。お店のやり方に文句を言うつもりもないんですけどね。キツイ言い方になっちゃいますけど、普通に扱って貰いたいっていうか…、注文したものをそのまま提供して貰えればいいっていうか。あの、正直、サービスとかいらないんですよ、マスター。まあ、初対面のこの人に言っても仕方ないかもしれませんけど」


 青は自分の背中にくっついている松村に顔を向けた。
 言い過ぎたかなと思いながら顔色を伺うと、不思議と怒っている様子もなく、さっきと変わりない笑顔のままだった。


「確かに初対面だけどさ、仲良くしておいたって損はないよぉ、ねぇ、原ちゃん」


 松村に笑いかけられた原は照れ臭そうに小さく頷いた。
 どこか嬉しそうな彼の表情を見た途端、青は急に自分が恥ずかしくなった。
 本当は文句を言う必要などないのだと。にっこり笑って「ありがとう」とお礼を述べれば丸く収まる話で、出されたものは食べても食べなくても誰も文句は言わないだろう。
 青はつい感情的になって思ったことを口にしてしまう性格が災いして、勤めていた会社でも上司からあまり好かれず、部下からも慕われることが少なかった。それでも会社でそれなりの立場にあったのは、ひとえに青のデザインセンスと仕事の早さがあったからだ。


『会社は組織だ。そして社会もまた組織だ。確かに君は優秀な人材だが、全てをひとりでこなすことは不可能だよ。他人と関わらずに生きていくなんて出来ないんだよ、唐沢くん』


 会社を辞めると決めた時、当時の上司に言われた言葉が脳裏に浮かび上がった。
 自分はあの頃と何ひとつ変わっていないのだ。青はやるせない気持ちになった。




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