星降るいつかの夜のこと 2


 新宿の雑居ビルに入っている店にしては落ち着いた雰囲気のどっしりと厚い木のドアを開けると、向かい側に位置するカウンターバーが目に入る。
 カウンターの中ではずらりと並んだ酒瓶の壁を背後に、緩めの白シャツを羽織った感じに着こなしている店員が軽やかにシェーカーを振り緑色のカクテルをサーブしていた。店内は薄暗いが、そこだけは明るく光に溢れている。店員はゆったりと歩を進めた青に気づくと、「いらっしゃいませ、青さん」と人懐こい笑顔を向けてきた。


 青は右手を軽く上げて応えると、滑るようにカウンターの一番奥へ腰を降ろした。壁際にあるガラスの水槽が光を反射して、青の座る席を照らし出していた。
 水槽の中で、この店の名前の由来にもなった赤い魚たちがゆらゆら揺れている。
 青は何気なく水槽をノックした。音に反応した魚が口をパクパク動かしながら近寄ってくる。水槽に顔を近づけて、何の感情も見せない魚をしばらくジッと見つめていた。


 店内には緩やかにジャズが流れ、程よい人数で埋まった席からはさざ波のような会話が聴こえてくる。
 うるさくもなく、かといって静かでもなく、立ち上がるざわめきと音楽が心地よく肌を包んでくる。少し低めに設計されている木目の美しいカウンターが、丁寧に磨き込まれているのか鈍い光を放っていた。隣の席は肘があたらないくらい離れていて快適だ。椅子も高い位置にはなく、腰をしっかりと包んでくれる固さで、ひと度座ってしまえばなかなか立ち上がることが出来ない代物だ。
 青はふうっとひと心地つくと、カウンター内でグラスを磨きながらお客の愚痴に優しく頷いている店員、誠人に声をかけた。


「誠人くん、ジンリッキーくださいな」
「あ、はい。かしこまりました。ジンは何にしますか?」
「ボンベイサファイアで」
「はい、ボンベイでジンリッキーですね」


 誠人は慣れた手つきで背後の棚から四角い青のボトルを下ろすと、冷やされた細長いグラスに氷を落としてジンを注ぎいれる。次に炭酸ボトルを冷蔵庫から取り出しグラスに継ぎ足すと軽くステア。さらに丸々としたライムの実をぺティナイフでくし切りにしてグラスの縁に飾りたてた。
 澱みのない動きだった。


「手早くなったね」
「まだまだですよ。前任の和泉さんには追い付けませんから」


 感心したように呟く青に、誠人は照れくさそうに俯いて白い歯を覗かせた。都会に住んでいながら田舎出身の純朴さを失わない誠人の笑顔は、この店に集う者たちにとって一服の清涼剤になっていた。青にとってもそれは同じだ。
 誠人の立ち振舞いには、都会に生まれ育った者がどうやっても持ち得ない爽やかさと暖かみがあった。
 そんな彼が働いているからだろうか。ここ「カフェバー・ポワソンルージュ」は、都会のど真ん中にありながら、どこかに置き忘れた心を温めてくれるような雰囲気の店だった。


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